『チャイルド44』(トム・ロブ・スミス/新潮文庫)

チャイルド44 上巻 (新潮文庫)

チャイルド44 上巻 (新潮文庫)

チャイルド44 下巻 (新潮文庫)

チャイルド44 下巻 (新潮文庫)

 警察組織の捜査方針に不満を持った刑事が独自の捜査によって真犯人に辿り着く。そんな筋書きの物語は小説にしろドラマにしろ珍しくも何ともない陳腐なものです。しかしそうした独自の捜査を行なうことが死に値する犯罪であり、それよって自らが警察に追われることになる、という物語となりますと話は全然違ってきます。
 スターリン体制下のソ連。国家保安省の捜査官であるレオ・デミトフが発見した子供の惨殺死体。それはかつて、彼が事故として処理した事件の死体と酷似していました。連続殺人犯の存在を察知しながらも、彼には事件についての自由な捜査が許されません。なぜなら、その社会には犯罪者は存在しないことになっているからです。
 社会主義国家を基盤とした団体主義による個人主義の否定。存在よりも当為が優先される社会にあって、事実は容易に歪められます。歪められて排斥される事実には、人命もまた含まれます。国家体制維持という大義の前には、個人の生命など塵芥のようなものです。そんな社会であるからこそ、おかしな表現になりますが、連続猟奇殺人事件が”栄える”のです。
 本書は実際にあった事件を元に描かれています。チカチーロ事件と呼ばれるものがそれです(参考:アンドレイ・チカチーロ - Wikipedia)。事件があったのは80年代ですが、本書では50年代に移し変えることによって、個人対国家という対立の構図がより一層際立ったものになっています。

 たしかに、一般的にいって政治警察や軍事政権の下で密告、盗聴、検問、拷問がふつうのことになっていて市民的自由が制限されているような国では、証拠にもとづく推理によって事件を解決しようといった精神は育たない。また地図や電話帳、時刻表、風景写真までが国家機密とされるような国では、うかつに”探偵ごっこ”や”謎探し”ができる空気はない。そうした国にふさわしいのは、むしろ反体制の英雄――ロビン・フッド――なのだろうが、そうした英雄を英雄として受容すること自体が自由な反抗の気風を不可欠の前提としている。
『ミステリーの社会学』(高橋哲雄/中公新書)p114より

 本書は社会主義国家が舞台となっています。そのため、証拠に基づいた推理という探偵小説のポリシーを抱くこと自体が主人公の存在意義となってしまいます。国家の優秀な犬であった主人公レオが一人の捜査官として目覚めたときの一匹狼性、孤独というものは通常の探偵小説の比ではありません。そこを補うかのように描かれるのが彼の妻ライーサとの間で生まれる絆です。
 国家保安省の捜査官との結婚は、自らの生命の安全を担保するための打算によるものでした。しかし、レオが失脚し自らの信念で連続殺人の捜査を行なうようになって、そこでようやく二人は対等の存在として互いに接することができるようになります。イデオロギーの絡んだ重々しいテーマでありながら、そこに男女の愛を並べることで物語性を生み出し、なおかつ個人の尊厳や親愛といったものが描き出されています。
 小説の軸となっているのは連続猟奇殺人事件ですが、実のところ、犯人の正体やレオが犯人へと辿り着くまでの筋というかプロットというのは驚くようなものでもなければ重要なものでもありません。ご都合主義的なオチという嫌らしい見方もできるでしょう。しかし、誤解を恐れずに言ってしまえばそんなものは些事です。
 個人対国家という対立の構図は、何も社会主義国家に限ったものではありません。民主主義国家であってもそれは十分に起こり得る現在進行形のテーマであって、つまるところ国家権力というものがある限り永遠の課題として抱え続けるしかないということがいえるでしょう。本書がロシアでは発禁処分だというのが驚きですが、本書のテーマが生きているという皮肉な証だといえます。そうしたテーマを良質なサスペンスとして読者に突きつけてくる本書は、まさに掛け値なしに傑作です。オススメです。
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