『検死審問ふたたび』(パーシヴァル・ワイルド/創元推理文庫)
- 作者: パーシヴァルワイルド,Percival Wilde,越前敏弥
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2009/03/20
- メディア: 文庫
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本書で行なわれるのは検死審問です。通常の刑事裁判のように被疑者の有罪・無罪を決定するのではなく、いったい何が原因でその人が死亡するに至ったのか(ミステリ用語っぽくいえば、”ホワットダニット”)を調べるのが検死審問です(参考:死因審問 - Wikipedia)。そのことを念頭に置いておかないと作者の術中にはまることになります(もっとも、コロッと騙された方が面白いかもしれませんが)。
本書の特徴は何といってもその語りにあります。基本的には公判における証言者の証言と、それに対して質問をしたり意見を述べたりする検死官と陪審員の発言が中心となります。ですが、その証言者の証言が、最初のうちはいかにも証言という形式語られるのですが、途中から一人称視点による普通の小説みたいな描写による語りへと変化していきます。視点人物の主観が強く反映される一人称視点の特徴が巧みに活かされた手法だといえます。そうした証言に加え、本書では、陪審員長を務めている博識でうるさ型の陪審員・イングリスの視点が取り入れられています*1。ボケとツッコミの掛け合いにも似たそうした視点の切り替えによって、本書特有のユーモラスな雰囲気がより一層引き立てられています。
検死審問に参加する陪審員は一般市民から選ばれます。市民にはそれぞれ都合や事情がありますから、イングリスのように積極的に参加する人物は稀で、大抵は嫌がります。そこで検死官は日当が出ることを強調しますし、検死官自身も審問が長引けば長引くほど、審問記録に文字が埋まれば埋まるほど、自身と速記官(=検死官の娘)の懐が暖まることを否定しませんし、むしろ強調します。それが潔癖症で生真面目なイングリスには気に食わなくて、あれこれと口を出しては審問を進行させようとします。しかしながら、真実の探求においては、思わぬ証言から意外な真相が導き出される場合があります。拙速よりも巧遅が求められる場面において、正義などといった建前を振りかざさずに日当という世俗的な実利によってそれを導き出しているひねくれた姿勢に、しかしながらとても好感が持てるのです。
もっとも、本書の場合での審問記録伸ばしには、単に小遣い稼ぎ以上のミステリ的な意味もちゃんとあります。記録されている事柄があればあるほど、人はその中から真実を見つけ出そうとします。それが悪いということではありません。そうした姿勢は必要です。ただ……これ以上はいえません(笑)。
裁判員制度のためのお勉強なんて野暮なこと抜きにしてオススメの一冊です。
【関連】『検死審問―インクエスト』(パーシヴァル・ワイルド/創元推理文庫) - 三軒茶屋 別館
(以下、ネタバレにつき既読者限定で。)
本書はそのユーモラスな見た目とは裏腹に実にテクニカルで読み応えのあるミステリですが、なかでも感心したのが、イングリスを一度死んだことにしてその帳面を遺留品扱いして読んだことです。これには、これまで影の語りであったイングリス視点を表に晒すという腹黒いユーモアという意味もありますが、犯人(?)と読者に対して真相を暗に仄めかしているものだともいえるでしょう。実に陰険です(笑)。でも感動しました。
検死官によって明らかにされた真相についてな法的オチにも関心しました。なるほど。よく考えたものですね。ただし、作中のコネチカット州ならともかく、日本の場合に同じような結論が出るとは限りません。なぜなら、日本の刑法では放火犯は、個人の財産に対する罪ではなくて公衆の安全に対する罪とされているからです。自分の家に自分で火をつけたとしても、それによって公共の危険が発生した場合には放火犯として有罪になります(刑法第109条2項参照)。
(非現住建造物放火)
第109条1項 放火して、現に人が住居に使用せず、かつ、現に人がいない建造物、艦船又は鉱坑を焼損した者は、二年以上の有期懲役に処する。
2項 前項の物が自己の所有に係るときは、六月以上七年以下の懲役に処する。ただし、公共の危険を生じなかったときは、罰しない。
なので、例えば無人島で自分の家を燃やしたような場合には公共の危険が発生しないので無罪となります。ですが、本件のような場合*2ですと、現場の周囲の状況が不明なので断定はできませんが、日本で同じことをやったらおそらく有罪になっちゃうと思われますので気をつけてくださいね*3(笑)。