翻訳よ、翻訳よ!
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だがしかし、いまだに翻訳小説は私を不安にさせる。
その真の理由とは、それが翻訳 であるという根本的なところにある。当たり前だが翻訳という行為は、どうやっても純粋な作品の二次加工にならざるを得ない。文学におけるこの加工は、音楽においてクラシックの生演奏をCDにするようなこととはわけが違う。何せ、ある国の言語が、まったく別の国の言語に変換されるのだ。
『ユリイカ』2008年3月号所収「翻訳小説とふたりのハウザー」(海猫沢めろん)p202より
私が抱えた不安もこれと同じです。「原書を読め」といわれればそれまでですが(汗)、そもそも日本語で書かれている小説すらちゃんと読めてるか怪しいのに*1、翻訳という変換されたものを読んで果たしてその作品を読むことができるのか。できたところで、それは本当に”読んだ”ことになるのか。ま、結局のところ「本当の」読みなどあるわけもないですし、読者的には面白ければ問題ないので割と開き直ってますけどね(笑)。
とはいえ、そうした不安がまったく払拭されるわけでもないです。ミステリファンの記憶に新しいところだと、チェスタトンの『マンアライヴ』の翻訳問題*2という悪しき実例もあります。ま、これはホントに酷い例に過ぎなくて、大半の翻訳小説は大丈夫でしょう。ってか大丈夫じゃなきゃ困ります。しかし、そこは人間のやることですからどうしたって間違いは起こるもの。そこで、
推理小説の誤訳 (日経ビジネス人文庫 グリーン こ 7-1)
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しかしながら、そもそも翻訳というものが上述のような変換作業であり二次創作である以上、そこに厳密な意味での「正解」というものは果たして存在するのでしょうか。
『文字移植』(多和田葉子/河出文庫)という小説があります。二つの言語を使いこなせる作家がひとつの言語で小説を書こうとするときに生じる歪み。それはまさに翻訳という行為の際に生じる歪みです。『文字移植』はそんな歪みを描いた物語です。主人公である翻訳家はわずか二ページの小説を翻訳するのに苦悩します。ただそれだけの物語です。そこでは、原文の単語を訳したものをそのままの順番どおりに並べただけという逐語訳が試されています。もちろんそのままでは訳文としては成立しませんから文章にしないといけないのですが、それが一様ではないのは明らかです。つまり翻訳に正解などないのですが、そのくせ間違いはあります。なので、翻訳家という職業は非難されることはあっても称賛されることはありません。まことに難儀な商売です(笑)。
ひとつの作品について複数の翻訳本が出ている場合にはそれを読み比べるという手はあります。理解が立体的なものになりますし、ひょっとしたら思わぬ発見もあるかもしれません。例えば、クリスティの『三幕の殺人』(ハヤカワ文庫)と『三幕の悲劇』(創元推理文庫)。この2冊。ともに同じ作品の翻訳のようですが、実は結末がまったく違うものになってます*3。とはいえ、こんなケースは滅多にないでしょうけどね。
結局のところ、大事なのは細部ではなく全体ということになると思うのです*4。
わたしは常にパターンとリズムとテンポに憑かれており、常にその角度から自分の小説を考えている。わたしをタイポグラフィーの実験に追い立てるのも、パターンへのこの執着だ。わたしが懸命に開発しようと努力しているのは、視覚と、音響と、文脈とを、ドラマチックなパターンに融合させる技術である。読者の目と耳と心を一つに溶けこませ、それらの各部分の総和より大きいものを味わってもらいたいのだ。わたしの奇妙な信念からすると、本を読むことは、本を読む以上の何物かでなくてはならない。それは、全感覚的な知的体験でなくてはならないのだ。
(『虎よ、虎よ!』解説p436より[アルフレッド・ベスター自身の言葉です。])
『虎よ、虎よ!』はすごい小説です。変な小説です。小説の常識を無視したありえない文体実験がいくつも行われています。これだけハチャメチャだと翻訳の正誤*5になどこだわっていられません。意味やイメージに圧倒されてしまいます。
多くの小説にとって文字とは媒介に過ぎないと思います。思想や主張、知識、感情、あるいはアイデアやイメージといったまさに感覚的な知的体験。ましてや、翻訳作品は見知らぬ文化・考え方に触れて自らの知見を拡げる格好の機会なわけです。そうした発見の味を一度知ってしまうと、たとえそれが二次創作であっても翻訳作品を読むのをためらうのはもったいなく思えてきます。
つまり何がいいたいのかといえば、『虎よ、虎よ!』が新装版で復刊されたのでみんな読めばいいと思うよ、というただそれだけのことでした(笑)。
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