『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん 6』(入間人間/電撃文庫)

 「シニシズム」という言葉を初めて目にしたときに、おそらくほとんどの方が「死に沈む」という駄洒落を思い浮かべたのではないかと思いますが*1、そんな現世に対しての態度と言葉遊びが通奏低音として常に流れているこのシリーズもついに6冊目と相成りました。
 これまで本シリーズはずっとみーくんの一人称視点で語られてきましたが、本巻では、みーくんの一人称視点描写の他に他のキャラクターの一人称視点からの語りも混ざっています。現実への対処を第一にするみーくんの語りには過去キャラを切り捨てる傾向がありますので、脇役キャラからの視点というのは本作がシリーズものであることを思い起こさせます。
 せっかくの他のキャラクターからの視点描写であるにもかかわらず、その語り・思考パターンがあまりみーくんと変わらないのは狙ってのことなのか、はたまた作者の技量の限界なのかは分かりませんが、いずれにしても少々勿体ない気はします。ただ、その”変わらなさ”が本シリーズ独特の雰囲気を作り出していることは間違いないわけで、そう思うと苦笑せずにはいられません。
 多数のキャラクターによる一人称視点描写ではありますが、そのほとんどは今回みーくんとまーちゃんが遭遇した事件とは関係がありません。なので、多面的な視点とはいい難いのですが、みーくんが過ごしている日常とは別の日常があるということの表現において、一人称の複数描写は有効に作用しています。どんなに他人からは非日常的な生き方に見えても、当の本人にとっては紛れもない日常なわけで、結局のところ日常と非日常の境い目は自己と他者との境い目と同じ、ということなのでしょう。
 相変わらずネタまみれなみーくんの語りですが、本巻では特にジョジョネタが目に付きます。体育館に突如として乱入してきたライフル銃を持った男。突然の危機に対処するために機転とハッタリを働かせるみーくんの姿には、確かにジョジョを彷彿とさせるものがあります。ただ、ジョジョという作品の本質が生命賛歌なのに対し、みーくんの本質はまるっきり反対と思いきや、必ずしもそうとはいい切れません(苦笑)。そんな彼の屈折具合を表現するためにジョジョネタが用いられているというのは、本巻を読む上で抑えておくべき点です。
 まるで連載漫画みたいな終わり方をしている本巻*2ですが、何はともあれ入間先生の”次回作”に期待することにしましょう(笑)。
【プチ書評】 1巻 2巻 3巻 4巻 5巻 7巻 8巻 9巻 10巻 短編集『i』

*1:実際、シニシズムと死に沈むでググるとかなりの件数がHITします。

*2:確かに気になる終わり方をしていますが、「嘘の価値は真実」という副題に忠実であるならば、本巻でシリーズが幕を閉じて、次から別シリーズが始まるというのもありはありでしょう。まあ、多分それはないのでしょうが、終わり方が見えないシリーズなだけに、本当にこれで終わりでも不思議じゃないと思います。いや、別に終わって欲しいというわけじゃないですけどね(笑)。