『宇宙飛行士ピルクス物語』(スタニスワフ・レム/ハヤカワ文庫)

宇宙飛行士ピルクス物語(上) (ハヤカワ文庫SF)

宇宙飛行士ピルクス物語(上) (ハヤカワ文庫SF)

宇宙飛行士ピルクス物語(下) (ハヤカワ文庫SF)

宇宙飛行士ピルクス物語(下) (ハヤカワ文庫SF)

 人生においてわれわれが実在しない生物のイメージの助けを借りて現実の問題を解くことがあるように、文学においても一見したところあり得ないように思える出来事や事象の助けを借りて現実の問題の存在を知らせることができる。たとえSFの中で描かれている事件がまったくあり得ないことであっても、SF作品は意義深い、まったく合理的な問題を指し示すことができるのである。たとえば、SFの中で描かれている宇宙船についての技術的条件がまったく幻想的であって、そのような条件に従っていては宇宙船をつくることが永遠に不可能であるというような場合でさえも、SFの中で宇宙旅行の社会的・心理的・政治的・経済的問題をまったくリアリスティックに描写することは可能なのだ。
(『高い城・文学エッセイ』(スタニスワフレム国書刊行会)p198〜199より)

 宇宙飛行士ピルクスを主人公にした連作短編集です。上巻には「テスト」「パトロール」「〈アルバトロス号〉」「テルミヌス」「条件反射」「狩り」の5編。下巻には「事故」「ピルクスの話」「審問」「運命の女神」の4編が収録されています。レムの小説としては後期に属する作品ということもあり、『エデン』『ソラリス』『砂漠の惑星』といったファーストコンタクト3部作とは異なり、想像上の世界と現実の世界との間の連続性の確立が試みられた作品に仕上がっています*1。そのため、今となってはSF的に古臭くなってしまっているものもあるのですが、その反面、レムの作品・問題意識にようやく現実が追いついてきたというような非常に興味深い問題もあり、さらには未だに最先端の読解困難な問題もありと、非常に知的興味をそそられる刺激的な短編集となっています。SFとしての派手さ・幻想性に欠けてるのは否めませんが、広大かつ奥の深い作品群です。
(以下、一部ネタバレ気味に各短編の雑感を。)

テスト

 ピルクスが訓練生の頃のお話です。今となってはSF的に古臭いものになってしまってますが、認識論的な問題意識はメタ論でも名高いレムならではです。本書全体を通して見たときに、最初に置くべくして置かれた作品であることは間違いありません。

トロール

 宇宙空間という緊張状態を強いられる状況下にあっても、人は順応して慣れていきます。だからこその陥穽。ヒューマンエラーの問題は安全工学においても重大なテーマですが、そうした状況に陥りかけたピルクスの混乱がレムならではの筆致で描かれています。

〈アルバトロス〉号

 宇宙空間は人類にとって可能性に満ちた空間ではありますが、その限界を思い知らされる空間でもあります。ドラマを否定した筋立てそのものがドラマです。

テルミヌス

 テルミヌス(Terminus)とはローマ神話における境界の神を意味しますが、本作の自動機械(オートマトン)が鳴らす金属音はノイズかオルゴールか。人工知能の問題は、つまるところ人間の知能・人間性の問題へと帰結することになります。

条件反射

 ピルクスが訓練生に体験したアクシデントですが、その前の心理実験〈狂気風呂〉の濃密な描写は特筆ものです。五感を奪われた状態での心理的な変化を描こうという試みは、その後に起きる”反射”を描くための下準備でもあります。人間と機械の間にこれだけのドラマを見出すのはレムならではでしょう。

狩り

 殺人機械と化した自動機械の狩り。その行動パターンについての合理性の判断には皮肉がきいていますが、それに輪をかけた結末の皮肉さが否応なく印象に残ります。

事故

 ロボットの”失踪”事件を描いたお話です。人工知能というものに対するレムの態度が端的に表れている一品だといえるでしょうか。ミステリの目的は解決ではなく納得にある、というようなことが言われたりしますが、そんなことを考えさせられます。

ピルクスの話

 これまでのお話はすべて三人称視点からの語りでしたが、本作はピルクスの一人称視点からの語りです。宇宙空間での活動においては、最先端の科学による物理的可能性の挑戦という側面に目がいきがちですが、そうした活動には実はとてもお金がかかるのは周知のことです。そうなりますと、物理的可能性ばかりでなく経済的可能性というのも決して無視するわけにはいきません。そうした世俗的な側面を強調するためには、神の視点による三人称よりも個人の視点である一人称の方が相応しい選択なんだろうなぁ。というようなことを考えてたら思わぬ展開にビックリ。……なるほど。確かにこの結末は三人称視点で描くわけにはいきませんね。

審問

 宇宙法廷による判事と検事と証人と弁護人による会話のみで語られる前半部。法廷ミステリのような様相を呈してはいますが、肝心の被告人とそもそもの訴訟物が何なのかが明らかにされないままの審問です。その事件の真相が明らかにされる後半部では、後期クイーン問題も真っ青の認識論・フレーム論を通じて人間性というものがシビアに問われます。

「人間なんて不完全な集合体ですよ」
「かりに、あなたみたいに出来がよくたって、それは避けられません。意識というものは、頭脳の作用の一部分で、主観的には単一性があるようにみえる程度に、その作用のなかでもめだつ部分ですが、そんな単一性は自己観照のあまりあてにできない結果にしかすぎんのです」
(本書下巻p193より)

 これはサイバネティクス論の基礎として語られている部分ですが、小説を書いたり読んだりして面白いと思う根幹にはこうした感情があるのは間違いのないところでしょう。本書で描かれているような自動機械・人工知能も、所詮は仮初めのもの・空想の産物にしか過ぎません。にもかかわらず、それは本書でも描かれているように人工知能人間性との境界をいとも容易に崩壊させてしまいますし、突き詰めるとそれを考えている当人の人間性すらも崩壊させてしまう恐れがあります。それを回避するための方法のひとつとして小説を書くということの意義があるのです。つまり、推測や近似値による人工知能の創作=人間性の投影が試みられている、ということなのだと思います。

運命の女神

 火星への着陸時に大事故を発生させた大型船。自動操縦を行なったコンピューターにもプログラムにもまったく問題がないにもかかわらず発生してしまった事故。果たして原因はいったい何なのか? ピルクスが感じている自身の”老い”となぞらえて問題の本質が浮かび上がってくる思考経路が面白いです。ですが、その後の処理は果たして妥当なものだといえるのでしょうか。そうした割り切れない想いこそが本書を通じて作者が描きたかったものなのだと思います。

 ちなみに、本書の主人公ピルクスはレム最後の小説『大失敗』にも登場しますので、本書を読んで興味を持った方には是非オススメします。

高い城・文学エッセイ (スタニスワフ・レム コレクション)

高い城・文学エッセイ (スタニスワフ・レム コレクション)

*1:『高い城・文学エッセイ』p188参照。