『”文学少女”と神に臨む作家』(野村美月/ファミ通文庫)

小説は天帝に捧げる果物 一行でも腐っていてはならない
河出書房新社中井英夫 虚実の間に生きた作家』p165より)

※以下、既読者限定でお願いします。また、元ネタになってる本も読んでて当たり前というスタンスですので、そちらも予めご了承下さい。
 神様を得ようと思ったら、誰でもひとりでなくてはいけないのよ。
 というわけで、シリーズ完結を飾る最後の作品の元ネタはジッドの『狭き門』です。本書の興味は主に3点。第一に、遠子の哀しみと流人の絶望と叶子の憎しみの物語の真相。第二に、心葉と遠子とななせの三角関係の決着。第三に、心葉がいかにして小説家としての一歩を踏み出していくのか。シリーズを通じて積み重ねられてきた言葉と秘められた思いの数々が、『狭き門』を軸とすることによって、ひとつの物語として堂々の終幕を迎えています。感無量の一言に尽きます。
 シリーズ第5巻『”文学少女”と慟哭の巡礼者』で、心葉はかつて書いた小説「青空に似ている」と井上ミウとをようやく認めることができました。しかし、その小説はあくまでも美羽のために書いたものであって、”読者”という彼方にある存在を意識して書いたものではありません。心葉が小説家としての道を歩むためには、小説を書くとはどういうことなのかを改めて見つめ直す必要があります。
 遠子と流人の母親たちのエピソード。結衣と文陽と叶子の三角関係と、それを基にして書かれた叶子の小説。作中作ともいうべき架空の私小説と、遠子と流人がそれぞれに抱えている物語。それらに直面したときに、心葉は小説を書くとはどういうことなのかを思い知ることになります。私小説とは、自らの実体験を小説としたものです。書くことによる苦悩。届かなかった思い。叶わなかった願い。それらは小説となることでより確かなものになってしまいます。そこでは事実と虚構の境目はとても曖昧ですが、だからこそ事実や虚構の区別とは無縁の本質的なものが浮かび上がってしまいます。そもそも、”文学少女”というシリーズ自体が、元ネタとなっているテキストとの境目が曖昧な小説です。しかし、だからこそ読者には”読み替え”の自由が与えられています。それこそが想像力です。
 テキストの読み方は一様ではありません。苦悩に満ちた小説の裏には喜びがあって、それが書くことへの希望へとつながっていく。作家は読者に裏切られる宿命にあるのかもしれませんが、でもそこには嬉しい裏切りもあるはずですし、それによってつながる気持ち、伝わる心というのもあるのです。そんな小説に秘められている可能性に気付くことで、心葉は小説家としての一歩を踏み出すことができました。
 『狭き門』を元ネタとしている以上、心葉と遠子とななせの三角関係がこのような結末を迎えるであろうことは予想されることではありました。ただ、それでも心葉と遠子がともに『狭き門』を歩んでいくという生き方も、叶子に向かってそれを説いた後だからこそ、十分に考えられることでしょう。しかし、遠子はそうはしませんでした。その理由は作中の手紙につづられたとおりでしょう。しかし、本シリーズが小説について語る小説というメタ小説であることも、本書の結末の決断にかなり影響していると思います。
 つまり、心葉と遠子をあからさまに結び付けてしまうことは、メタレベルでは作者と読者の安寧を意味します。それは作家にとって居心地のよさそうな境地ではあります。しかし、作者はあえてそれに背を向けたのです。それは同時に、読者にも同じことを望んでいるということでもあります。つまり、作家である自分が『狭き門』をくぐるのと同じく、読者にもまた『狭き門』をくぐって欲しいという決意が本書の結末には込められているのだと思います。作者がこれからも小説を書き続けるためには、心葉と遠子をすんなりとくっつけることはできなかったのです。
 ただし、本書の結末は開かれています。つまり、ジッドの『狭き門』が閉じられたものであるのに対し、本書のそれは開かれたものです。想像力というものを大事にしてきた本シリーズに相応しいものであると共に、やはりジッドの『狭き門』に対してのアンチテーゼとしての意味もそこには込められているのでしょう*1
 心葉は叶子に対して、ジェロームではなくアリサとジュリエットの物語として『狭き門』を語ります。語られない視点にも物語はある。だからこそ、本シリーズの場合だとななせの立場が、お世辞にも出番に恵まれていたとはいえないにもかかわらず(笑)、やはり印象に残ります。ななせだけではなくて、他の人物の物語も丁寧に描いてきて、みながみな『狭き門』を通っていきます。本シリーズは一人の作家の誕生を描いたメタ小説である一方で、青春期の少年少女たちの情動の変化を描いたメロドラマ調の甘酸っぱい成長物語としても読み応え十分でした。
 シリーズ本編はめでたく完結しましたが、このあと外伝が出るそうなので、そちらを楽しみにしたいと思います。
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木々高太郎と野村美月の『文学少女』
”文学少女”の三題噺と小説のプロットについて
青空文庫で読む”文学少女”

狭き門 (新潮文庫)

狭き門 (新潮文庫)

*1:エピローグでの心葉の行動の意味は、1巻p59〜60、3巻p78やp298〜299とかを読めば分かります。落ち着くべきどころに落ち着いた結末だといえるでしょう。