『図書館戦争』と『華氏451度』

 遅ればせながらアニメ「図書館戦争」第6話を観ましたので思ったことをつらつらと。
 第6話はアニメオリジナルストーリーで、山梨の古書店から「予言書」*1と呼ばれる本を譲り受け、関東図書基地に持ち帰ろうとした笠原・小牧たちがメディア良化委員の襲撃を受け・・・、というお話でした。後述しますがとある事情から小牧を掘り下げるオリジナルエピソードを挟む必要があったので今回のお話が生まれたのだと思いますが、新たに語られる堂上・小牧の過去エピソードや、笠原の成長ぶり、かつ相変わらずの熱血バカぶりなど、原作『図書館戦争』の1エピソードとしても遜色ないぐらい世界観、物語観にマッチしたお話だったと思います。
 今回のエピソードの鍵を握る「予言書」ですが、「本を燃やす世界が書かれたSF小説」「フランスの監督によって映画化された」と小牧が言っていることから、レイ・ブラッドベリ華氏451度』で間違いないでしょう。
● 三軒茶屋別館 アイヨシのプチ書評 レイ・ブラッドベリ『華氏451度』
 アイヨシがこの本について巧く語っていますので詳細は譲ります。本を燃やす、というシチュエーションはまさに『図書館戦争』という未来を「予言」していますね。
 ところで、その世界観から、『華氏451度』が描きたかったのは「検閲との戦い」と思われがちですが、ブラットベリ自身は『華氏451度』が示しているのは「国家による検閲」ではなく、「テレビの脅威」だと語っています。

Bradbury, a man living in the creative and industrial center of reality TV and one-hour dramas, says it is, in fact, a story about how television destroys interest in reading literature.
(LA Weekly)

 要約すると、「TVが読書への関心を破壊する」ということに対する懸念です。
 フジモリの拙い英語力では意味をうまく汲み取れているか不安なのですが、「真に恐れるべきは「検閲」という圧力ではなく、偏って一方的に与えられたTVによる情報を鵜呑みにした人々だ」という主旨かと思います*2
 『図書館戦争』の世界でも本を検閲する組織との戦いを描いていますが、「読書家以外の人にとって検閲を行なうメディア良化法は他人事。そして世の中には読書家以外の人ほうが圧倒的に多い」という記述(要約)などを見ると、『華氏451度』が警告するテーマとの相似性を感じさせます。
 実際、TVは意識的・無意識的にフィルタにかかった情報を流しています。今回の第6話も、本来、原作では時系列的に小牧と中澤毬江のエピソードが入るのでしょうが、TVでは放映不可としてばっさりカットしています。

 テレビはやはり放送コードのきつさが書籍の比ではない、ということなんですが(皆さんも驚かれたことと思いますが小牧と毬江のエピソードを放送できない、ということはアニメ化話の大前提として真っ先に聞かされました)、その厳しい放送コードと限られた尺の中でアニメは本当によく作っていただいていると思います。役者さんも皆さん本当によく演じてくださっててありがたいことです。
 そして毬江の話を飛ばされると小牧の見せ場はどうなるんだ、という話なんですが、来週の6話が小牧メインになります。制作サイドが小牧をメインに据えてどんな物語を作ってくださったか、それは放映までのお楽しみということで。私は脚本段階でとても楽しませていただきました。小牧出ずっぱりな回になると思いますので石田さんファンの方も楽しんでいただけたらなぁと思います。
(有川日記5/9)

 よりマスに向けて発せられる媒体の性質上しょうがないのかもしれませんが*3、今回『華氏451度』という書物を登場させることで、メタ的に『図書館戦争』と『華氏451度』の類似性を示すと同時に、「規制を描く物語そのものが規制される」TVのバイアスを皮肉っているのかも、と思わず「邪推権(by新城カズマ)」を行使してしまいました。)

*1:アニメでは「よげんしょ」と言ってますが、未来を示しているので「預言」ではなく「予言」かと思います。・・・あ、アイヨシへのコメント書き間違えた。

*2:「He says the culprit in Fahrenheit 451 is not the state ? it is the people. 」という発言からもその意図がうかがえます。

*3:ぱっと思いつく類似の話としては、アニメ「HUNTER×HUNTER」の天空闘技場やアニメ「ONEPIECE」のゼフのエピソードなんかも原作のエピソードをマイルドに改変してますよね。