『視線』(石沢英太郎/講談社文庫)

視線 (講談社文庫)

視線 (講談社文庫)


絶版本を投票で復刊!

 表題作『視線』を含む7本の短編が収録されています。

視線

 第30回日本推理作家協会賞短編部門受賞作です。強盗にピストルを突きつけられた銀行員が視線を走らせた先には非常ベルに手をかけようとしていた同僚の銀行員の姿が。その視線に気付いた強盗はその銀行員を射殺する。なぜ彼は視線を走らせたのか。被害者と加害者の関係は明らか。それこそ疑問の入る余地は一切ありません。ですが、事件を担当した刑事には気になることがあります。なぜあの銀行員は視線を走らせたのか。アイコンタクトといいますが、視線によって意思の疎通を図ることもあれば、その反対に視線によって相手の視線を誤誘導させるフェイクをすることも可能です。”見る”というただそれだけの行為であっても因果の流れから無関係であることはできません。証拠に残ることのない視線という現象。ミステリはときに「人間が書いてない」と批判されることがありますが、この物語で描かれている視線に基づいた人間の機微は、ミステリだからこそ拾い上げることができたものです。紛れもない傑作です。

その犬の名はリリー

 リリーという名前の犬を軸としたご近所関係の中にある真実。意外な暗転が何ともいえない余韻を醸し出している佳品です。地味ではありますが堅実な出来栄えで、それでいて結構きついです(笑)。

五十五歳の生理

 定年退職。老後の不安。ノイローゼ。自殺。これだけ鬱な要素が揃えば物語の雰囲気は真っ黒なものになるのが決まってますが(笑)、決してそういうわけではなくて、第二の人生というものがあるという前向きなテーマが込められていまして、それだけに本書の結末の刑事の独白には強く頷けます。

アドニスの花

 殺人のトリックはトリカブト事件を彷彿とさせるもので意外でもなんでもないですが*1、「光の側から」と「闇の側から」という2つの側面から語られる人間模様には読み応えが詰まっています。

ガラスの家

ガラスの家に住む者は、人に石を投げてはいけない

 何か奇妙な事件が起きたときにミステリ作家にテレビ向けのコメントが求められるというのはたまにありますが、本作はそれをテーマにしています。予想される犯人の性格をプロファイリングしたり、もしくはそれに関わっているであろう社会の病巣を指摘してコメントにする。当たるも八卦当たらぬも八卦のようなものではありますが、しかしながら、そこで述べたもっともらしい犯人や社会を糾弾するコメントが自分自身に跳ね返ってくることはないのでしょうか。インターネットでの言論活動が活発で、誰もがコメンテイターになることができる今の方がより考えさせられる内容に仕上がっていると思います。自戒の意味も込めてとても考えさせられました。

一本の藁

 「最後の藁一本がらくだの背を折る」という諺があるそうですが、人が死んだときに「最後の藁」に注目が集まりがちではあります。しかしながら、それまでに積まれてきた藁の一本一本に重みがあるわけです。そのどれもに因果を認めないわけにはいきません。これもやはりミステリだからこそ描くことのできる人間劇だと思います。

ある完全犯罪

 正当防衛による無罪を狙った完全犯罪ものです。刑法第36条の正当防衛だけでなく「盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律」まで考えられているのが芸が細かくて個人的にとても好みです(笑)。「三億円事件」という大事件を背景にした舞台設定も見事ですし、それでいて作中での意外な結末も利いてます。傑作です。



 ちなみに、私が本書を買ったキッカケは、『視線は人を殺すか』(廣野由美子/ミネルヴァ書房)のなかで視線の力を説明する作品として「視線」が紹介されてまして、それで興味を持ったので古本屋で探して買いました。そしたらすごく面白かったのでビックリしました。表題作もさることながら、すべてが今でも通用するレベルの本格ものばかりです。温故知新じゃないですが、読んでて嬉しくなってしまいました。そのなかでも「視線」はやはり傑作だと思います。本書一冊の復刊とはいかなくても、私が知らないだけで何かのアンソロジーとか入手できたりしないでしょうか。そしたらそれを紹介するのにやぶさかではないのですが……。
視線は人を殺すか―小説論11講 (MINERVA歴史・文化ライブラリー)

視線は人を殺すか―小説論11講 (MINERVA歴史・文化ライブラリー)

*1:ただし、本書の刊行はその事件よりもずっと前のことです。