『ダーク・ハーフ』(スティーヴン・キング/文春文庫)

 英文科の大学教授にして売れない純文学作家であるサド・ボーモンドには、もうひとつの顔があった。それは、血なまぐさい犯罪小説のベストセラー作家ジョージ・スタークというペンネームだった。スターク名義の小説の人気は依然として好調ではあったが、自分の書きたい小説を書くことに専念したくなった彼は、ジョージ・スタークというペンネームから決別するために”彼”を葬り去ることにした。それが悪夢の幕開けになることも知らずに……。というようなお話です。
 作家が、自分の意志とは異なる作品を書かされることになる恐怖、という点では『ミザリー』と共通性があります。ただし、『ミザリー』では作者と愛読者との戦いが描かれているのに対し、本書ではもう一人の自分との戦いが描かれています。正直言って、恐怖小説としてもサスペンスとしても『ミザリー』の方が数段上です。しかし、作者対作者という設定と、本書が生まれるまでの作者の苦悩とかを想像すると結構面白いです(←悪趣味な読み方)。
 ジョージ・スタークの著者略歴は次のようなものです。

著者は三十九歳で、放火、凶器による暴行、殺人未遂の罪で、三つの別々の刑務所で服役していた。
(本書p48より)

 そんなスタークの正体であるサド・ボーモンドの人柄は暴力的・犯罪的な行いとは無縁の子煩悩な大学教授に過ぎません。DMCこと『デトロイト・メタル・シティ』(若杉公徳白泉社)における主人公・クラウザーⅡ世と根岸崇一の関係を考えてもらえれば分かりやすいかもしれませんね(笑)。クラウザーさんは根岸にとって架空の存在・実在しない偽りの「キャラクタ」のはずですが、にもかかわらずその存在感は圧倒的です。そんなクラウザーさんと根岸が戦うことになってしまったらどうなるでしょうか? そんな想像をいくら極めたところで笑いしか起きませんが(笑)、本書で繰り広げられる悲劇に笑いが入る余地は一切ありません*1
 全力で閑話休題です。作家として作品を書いていくと、ときに多方面で評価される場合があります。そんなとき、作家自身の志向と評価とが食い違うことがあったりなかったりするのでしょう。自分じゃそれをそんなに書きたいわけじゃないんだけど、人気はあるし書こうと思えば書けないことはない。でも不本意。そんな創作を営む上での妥協点として、別名義という方法が浮上することになります。本人にとって、別名義のペンネームとそれが描く作品は紛れもなくフィクションです。しかし、いくら本人がその存在を否定しようとしても、でもやっぱりそれは本人が持つ作家としての一側面であることは間違いありません。否定するために生み出した別名義によってその存在が強調されてしまう矛盾。別名義のペンネームが付与されることによって存在感が増してしまった「それ」は別人格にまで成長し、ついには本人にまで影響を及ぼしてしまいます。すなわち「ダーク・ハーフ」、邪悪な半身です。作者が自らの生み出したフィクションに飲み込まれてしまう恐怖。それが本書のテーマです。
 そんな作者にとってはさぞ深刻であろう問題ですが、単なる一読者としては淡々と興味深く読んじゃえます。結局、半身は半身として否定せずそっちはそっちとして大事にして欲しいと一般論としては思います。そっち方面の作品を心待ちにしているファンだってたくさんいるわけですからね。でも、もし自分がそっち方面の作品をあまり楽しみにしてないファンの立場だとしたら、そしたらまったく逆のことを考えちゃうんですけどね(笑)。

デトロイト・メタル・シティ (1) (JETS COMICS (246))

デトロイト・メタル・シティ (1) (JETS COMICS (246))

*1:私見ですが、だから本書はイマイチなんじゃないかと思います。ホラー路線はミザリーで極めた感がありますから、本書では逆にお笑い方向に走っても良かったんじゃないかと思ったり思わなかったりです。テーマ的には異なるものであるにもかかわらず、どうも『ミザリー』の二番煎じみたいな印象を受けてしまって物語に入り込めませんでした。