ウィザーズ・ブレインと臓器くじ

ウィザーズ・ブレイン (電撃文庫)

ウィザーズ・ブレイン (電撃文庫)

(1巻のネタバレが前提となっています。未読の方はご注意を。)

 臓器くじ(英語:survival lottery)は哲学者(倫理学者)のジョン・ハリス(John Harris)が提案した思考実験で、「サバイバル・ロッタリー」とカタカナ書きで表記されることが多い。これは「人を殺してそれより多くの人を助けるのはよいことだろうか?」という問題について考えるための思考実験で、ハリスは功利主義の観点からこの思考実験を検討した。
 「臓器くじ」は以下のような社会制度を指す。

1.公平なくじで健康な人をランダムに一人選び、殺す。
2.その人の臓器を全て取り出し、臓器移植が必要な人々に配る。

 臓器くじによって、くじに当たった一人は死ぬが、その代わりに臓器移植を必要としていた複数人が助かる。このような行為が倫理的に許されるだろうか、というのがハリスが投げかけた問題である。
臓器くじ−Wikipedia

 少数の犠牲のもとに多数の人間の命・あるいは世界が救われる、といったお話はそれほど珍しいものではありませんし、そうした少数の英雄的な行為が道徳上・哲学上の問題として扱われることはほとんどありません。なぜなら、そうした英雄たちは自らの意思で望んで世界の危機に立ち向かいその身を奉げているからです。つまるところ、そうした行為は英雄的な行為を行なう個人の意思に還元されるのであり、そのことについて他人がとやかくいう問題ではないからです。
 しかしながら、世界の危機が目に見えるもの・予測可能なものである場合に、そうした危機を回避するためにあらかじめ犠牲となる少数者を作り出し、それを前提とした危機回避システムが構築されたらどうでしょう。一過性のものではない、永続的な社会制度としての個人の犠牲です。そうなると、個人の意思の問題とは別に、そうした個人の犠牲を前提とした社会制度自体の倫理的是非が議論として浮かび上がってくることになります。このようなテーマを真っ向から取り扱い、ストーリーの軸としているのが『ウィザーズ・ブレイン』です。
 『ウィザーズ・ブレイン』の世界では、都市のシステムを維持するために一人の強大な力を持つ「魔法士」の犠牲が必要です。それが「マザー・システム」です。犠牲となる魔法士の選択は、「臓器くじ」とは異なり純然たるくじ引きではありません。力ある「魔法士」は、その命を犠牲にすることを甘受しなければならないのでしょうか? もしその魔法士が自ら望んだとしたら、その犠牲・その制度は倫理的に肯定されるべきものなのでしょうか? そもそも、そのために育てられた魔法士であれば、その倫理的なハードルはクリアできるのでしょうか? それとも、世界の滅びを受け入れるべきでしょうか?
 「臓器くじ」はあくまでも思考実験です。選択肢は2つしか与えられていませんし、前提条件も議論を分かりやすくするために限定されています。したがいまして、それを実際の社会制度として組み込むときには、それよりも複雑な事情を考慮しなければなりませんし、更なる選択肢の模索も可能性のひとつとして十分考えられます。功利主義から提唱されるこうした思考実験では、様々な主張・反論がなされます。それらを物語上の立ち位置として体現しているのが『ウィザーズ・ブレイン』のキャラクタたちです。ど派手な戦闘シーンと人間模様の背景にはそうした哲学的なテーマがあります。
 物語はまだ途中ですが、このシリーズがいかなる結末を迎えることになるのか。上記のような功利主義の観点から考えてみるのもとても面白いと思います。