『第六ポンプ』(パオロ・バチガルピ/新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

第六ポンプ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

第六ポンプ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 人生を完全に破壊したのも悪いことばかりではないとジョナサンは思った。そのおかげで人生をようやく楽しめるようになったのだ。
本書収録「やわらかく」p332より

 『ねじまき少女』で知られるパオロ・バチガルピ初短編集は、未来はきっと今よりもよくなっているに違いない、なんて安易な幻想を抱くことができなくなってしまっている今だからこそ読んでおきたいディストピア系の短編集です。
 本書に収録されている作品は、基本的には遠近の差こそあれ、未来を描いた作品がほとんどです。何ゆえ望まぬ未来が容易に想像できてしまうのかといえば、今の日本を鑑みれば、今現在抱えている様々な課題を先送りしてしまえばそうなるのは当然といえば当然です。とはいえ、これだけ様々なディストピアがバリエーション豊かに描かれているのことには苦笑せざるを得ません。
 科学技術の進歩とか環境破壊とか少子高齢化社会とか貧富の格差の拡大といった問題意識だけでお話を作っても、それだけではSFといえるだけの想像力の喚起・刺激は得られません。本書収録作のSF的な魅力は、そうした現代的な問題がこのままだと将来的にどうなるかという社会的なアプローチのみならず、それによって人間性までもが変化していくことまでをも描いていることにあります。いうなれば、社会的な変化と人間性の変化とが、あたかもボクシング用語でいうところのミックス・アップのように互いに影響を及ぼしあった結果として生まれる世界観だといえます。社会と人間性とが、お互いがお互いをボコボコにし合う中の疾走感とリアリティ。それこそがバチガルピ作品の魅力です。本書には非SF作品である「やわらかく」も収録されていますが、同作が本書において浮くことなく自然に溶け込んでいることを踏まえれば、バチガルピの本質は社会の変容を描くことよりも、むしろ人間性の変容を描くことの方にあるのだといえるでしょう。
 「ポケットの中の法」はタイトルだけだと「機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争」を想起します(笑)。「フルーテッド・ガールズ」はタイトルどおり身体をフルートのように改造された少女たちのお話。余談ですが、いわゆるボーカロイドとは反対方向からのアプローチだといえると思いますが、だからといってまったくの別ものといえるかとなると自信がありません。「砂と灰の人々」は、人間性の変容というものがまさに描かれている作品です。本作での科学技術の進歩自体はまだまだ荒唐無稽なものですが、そこで描かれている価値観や倫理観自体は荒唐無稽なものとは言い切れないでしょう。「パショ」明治維新みたいなお話だと思いながら読みました。「カロリーマン」は『ねじまき少女』と世界観を同じくする作品。本作ではバイオ栽培とかバイオ農法とかいわれる技術の可能性と恐ろしさとがストーリーの衣服を着せられて語られています。「タマリスク・ハンター」アメリカ中西部を舞台に水資源の枯渇による貧富の差を描いた環境SF。「ポップ隊」は、若返り術によって不老が実現したことによって子供を産むことが犯罪となったという世界設定にて、子供を産み育てることの意味を問い直し再確認する(?)作品。イエローカードマン」も『ねじまき少女』と世界観を同じくする作品。自己責任論は洋の東西を問わないらしいです(苦笑)。「やわらかく」は、巻末の訳者あとがきによれば”英語の綴りのコンテストに使われるような難しい単語をSF・ファンタジー系の作家達にテーマとして与えたみたら……という趣向のアンソロジーのために書かれた作品”とのことです。で、お題は”macerate”ですが、そんなお題があったとは思えないくらい自然で巧みな仕上がりです。「第六ポンプ」出生率が下がり人々の痴呆化が広く浅く浸透した近未来世界で下水処理システムのポンプの故障と格闘するひとりの職員の姿を描いた物語。その原因が、こんな未来がないとは否定できないものでなんとも……。とにもかくにもオススメの一冊です。