『拳闘士の休息』(トム・ジョーンズ/河出文庫)

拳闘士の休息 (河出文庫 シ 7-1)

拳闘士の休息 (河出文庫 シ 7-1)

彼がいみじくも言い当てたように、結局のところ、この世の中とは地獄のようなものではないだろうか? 人はショーペンハウアーのことをペシミストの一言で片づけてしまったが、彼の書いた物を読むと、俺は安らぎ、生き返ったような気分になる。
(本書p37より)

 短編集です。表題作「拳闘士の休息」は93年にO・ヘンリー賞を受賞しています。
 ミステリ読みでありそこそこSFも読む私としてはベトナム戦争やドラッグときくとSF、特に内宇宙(インナースペース)系のSFをどうしても想起してしまいます。なので、本書のようなSFではない小説でそうした題材に触れることは、本来なら新鮮な読者体験を期待できるはずです。ところが、本書はSFではないにも関わらず極めてSF的な読み応えを備えています。
 現実の中の虚構。あるいは、通常とは異なる時間の流れの中を生きていく感覚。そうしたSFに近しい世界観が、本書に収録されている短編の多くに描かれています。SFにおいては、そうした世界観は科学的知見に基づいた思考実験によって構築されます。一方、本書では作者のボクサーとしての経験、あるいは癲癇患者としての体験に基づいた記録小説的な手法によって描かれています。また、作者が傾倒しているショーペンハウアー(参考:アルトゥル・ショーペンハウアー - Wikipedia)の言葉が引用されることで思弁的な読み応えも加味されています。
 本書は4部構成になっています。
 Part1の3作は兵士(あるいは元兵士)が主人公です。「拳闘士の休息」は収録作中の白眉。ベトナム戦争の新兵として訓練に次ぐ訓練によって変質していく人間性。戦場で生を感得し、平穏な日常で死へと転がり落ちていく無情な世界観。作中で紹介されているテオジニスの逸話と相俟ってギリギリの死生観が描かれています。「ブレーク・オン・スルー」「ボクシングとは、恐怖をコントロールする技術だ」(本書p74より)とのことですが、小説もまたそうなのかもしれません。巻末の訳者あとがきによれば、作者はボクシング試合で受けた外傷による側頭葉癲癇によってベトナムの地を踏まずに除隊となったとのこと。それでこの描写なのですから驚きです。「黒い光」海兵隊のボクシングの試合で脳を損傷し精神病院に入れられた兵士。精神病患者の視点で描かれる精神病棟の風景。精神に負った傷が癒されないままの人生。その先にあるものは?
 Part2は一転して戦場から離れます。ワイプアウトは女から女へと渡り歩く軟派な男。「蚊」は兄と義姉との関係。アンチェイン・マイ・ハート」は女性視点からの男と仕事。つまりは男女の関係がテーマになっていますが、いずれも満たされないものばかりです。
 Part3のテーマは”理不尽”でしょうか。「”七月六日以降、当方自らの債務以外、一切責任負いません”」はタイトルどおり無責任な男の生き様。「シルエット」は特殊教育出身のウィンドウを主人公に人生の不条理が軽妙な文体で描かれています。「わたしは生きたい!」は傑作。末期ガンで余命幾ばくもない老女の最期。短編だからこその読み応えと余韻でしょう。
 そしてPart4。「白い馬」は癲癇による記憶喪失と徘徊症による自分がないままの小旅行。本書の最後を飾るは「ロケット・マン」エルトン・ジョンの『ロケット・マン』には何の感慨もありませんが、強さと弱さが描かれた傑作。世界チャンピオンとアルコール中毒ののトレーナー。生きることの苦しみを抱えながら未来を切り開く可能性を示してくれています。