『トレント最後の事件』(E・C・ベントリー/創元推理文庫)

トレント最後の事件 (創元推理文庫)

トレント最後の事件 (創元推理文庫)

 島本和彦の短編マンガに『コックローチマン最終話』(『ワンダービット 1』収録)というのがあります。変身ヒーローものであるコックローチマンシリーズは、その前の話を含めてもその最終話が実は2話目なのですが、でも最終話です。最初からそういう趣向を狙ったマンガなのです。本書もそれと同じです。最後の事件(原題もTrent's Last Case)というタイトルですが、別に最初の事件とかがあるわけではありません*1。最初から最後の事件を書くことを目的として書かれたのです。そのための前日譚・トレントの探偵としてのサクセス・ストーリーは本書の前半部分において華々しく語られます。そうしたエピソードは本書の探偵役にして主人公である青年画家・トレントの探偵としての優れた資質を示すものではありますが、その反面、読者にしてみれば今風に言うところの死亡フラグならぬ失敗フラグに見えたり見えなかったりします(笑)。
 本書は1913年という古い時代に刊行された、カーやクイーン、クリスティといった黄金時代の作家たちが登場する以前の古典です。しかしながら、本書の優れた(捻くれた?)トリック・プロットと鮮烈な幕切れは古臭さを感じさせません。さらに、ヴァン・ダインの二十則(参考:Wikipedia。ちなみに二十則は1928年に発表)に3.不必要なラブロマンスを付け加えて知的な物語の展開を混乱させてはいけない。ミステリーの課題は、あくまで犯人を正義の庭に引き出す事であり、恋に悩む男女を結婚の祭壇に導くことではない。とあるように、ミステリと恋愛要素は相反するものとして忌避されていたようですが、それより前にその二つの要素の両立を試みた作品として記念碑的な意味合いを持っています。また、本書は江戸川乱歩が選んだベスト10の中にも選ばれています。そうしたことから、古典の割には比較的広く読まれている作品じゃないかと思います。
 探偵にとって予断や先入観といったものは禁物です。あくまで客観的に事件と向き合わなくてはなりません。そうした理性的な視点をいともたやすく狂わせるものの筆頭が恋愛感情でしょう。しかし、だからこそ、恋愛要素を作中に取り込むことによって、論理や合理性に基づいた思考の価値やあり方といったものを際立たせることもまた可能になります。実際本書はそういうミステリです。理と情という相反するものを衝突させることでどのような成果が得られるのか? 作者のみならず読者にとっても楽しみの多い創作テーマだと思います。ヴァン・ダインが二十則で明文化してまでそれを嫌った理由は私には謎です。ただ、恋愛要素を重くみていたからこそだろうなぁ、とは推測されます。
 閑話休題です。なにせ古い作品ですので、指紋などという当たり前の証拠を最新の知識として朗々と説明されてたりすると読んでてむず痒くなってきますが(笑)、しかし、これも時代の流れというものでしょう。そういう時代も確かにあったのわけですし、そう思って読めば指紋というものの証拠価値を端的に述べているものとして評価できます。
(以下ネタバレ伏字→)トレントは一旦は事件の真相に迫ったと確信しながらも、自らの恋愛感情を抑えることができずに探偵としての役割を放棄してしまいます。まさに探偵失格というべき駄目駄目な行為です。しかしながら、結果として犯人ではない人間に無実の罪を負わせずにすんだわけです。無理に理性的であろうとしていたら、それこそ取り返しの付かないことになっていたかもしれません。人間にとっての理性とは何か? 逆説と幻想の書き手として知られる盟友チェスタトンに献辞を奉げただけのことはある見事な着想だと思います。物語の終盤では、「疑わしきは罰せず」という刑法における大原則の重要性や間接証拠を過信することについての危機感が語られます。そうした事柄はミステリでは探偵役の鮮やかな推理の影でおきざりにされがちなものですが、しかしながらとても大事なことです。本書の真相はとても捻くれたものですが、その裏にはこうしたストレートな主張があります。そこがとても面白いです。(←ココまで)
 温故知新といいますが、新刊のアクセントとして古典を読むのも乙なものだと思います。

*1:もっとも、本書発表から二十年後に『トレント自身の事件』が発表されたことで最後の事件じゃなくなっちゃいましたが(笑)。