『珈琲店タレーランの事件簿 また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を』(岡崎琢磨/宝島社文庫)

 かつてフランスの伯爵は言った。――良いコーヒーとは、悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、そして恋のように甘い。
 彼の名を、シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴールという。フランス革命期、主として外交に辣腕を振るい、かのナポレオン皇帝も一目置いたとされる偉大な政治家である。食通としても有名だった彼の残した言葉は、理想のコーヒーを語る上で欠かせない至言として、後世に語り継がれることとなった。
(本書p16より)

 コーヒーを小説に置き換えても通用しそうな名言です。珈琲店が舞台のミステリというのは時折り目に付きますが、目指すべき雰囲気としてそうした共通性があるが故に相性がよいといえるのかもしれません。
 京都の小路の一角にひっそりと構える珈琲店タレーラン」。偶然出会ったその店の珈琲の味と香りに主人公は驚くが、さらに驚いたのは、その珈琲を挽いていたのが魅力的な女性バリスタで。聡明なバリスタ・切間美星は主人公が持ち込んでくる日常の謎を鮮やかに解き明かしていくが、その美星自身に実は秘められた謎があって……といったお話です。
【ヒット検証】「薦めやすさ」が書店員に好評『珈琲店タレーランの事件簿』 | ORICON NEWS
 薦めやすい……だと……?
 いや、確かに謎解き物語として本書はいい意味でライトで、そういう意味ではお薦めしやすいといえばしやすいです。ミステリらしいほどほどの回りくどさと知的な小ネタを交えながらの会話によって少しずつ深まっていく二人の関係は、こっ恥ずかしいながらも微笑ましくて、お薦めといえばお薦めといえます。が、しかし……。ま、いっか。オススメです(笑)。
(以下、既読者限定で。)
 なんといいますか、本書は京都という「一見さんお断り」という言葉から連想されるよくも悪くも排他的・閉鎖的なイメージを遠景として、名探偵というものが有する神性を暴くことによってその心性を描くことに主眼を置いたお話だといえます。真実を明らかにする名探偵の推理の力は、ときに関係者の心性を明け透けにしてしまいます。そのことを嫌う者もいれば、自分にとって最大の理解者と感じて一方的な好意を抱いたりする者もいるわけで、そうした人間関係的な煩わしさから距離を置くために、名探偵というのは得てして孤高だったり偏屈だったりします。しかし、美星は違います。で、名探偵を名探偵として単に崇めるのではなくて、そうした苦悩を抱えた一人の女性としての切間美星を描くための恋愛物語の進行役を担っているのが主人公ということになります。が、最後の章で主人公が講じた策は、最終的に丸く収まったからいいものの、やり切れないというか、えげつないというか、毒をもって毒を制しすぎな気がします。まあ、名探偵と犯人の関係に割って入って三角関係を構築しつつ、恋愛的な三角関係をも利用した上で、情と理を量りにかけるやりかたは、いかにもミステリ的ではあります。
 つまり、何ゆえ本書に対してお薦めしにくさを感じているかといえば、一見するとハートフルな物語のようでありながら、その実ハートフルボッコな物語をオススメするような違和感を覚えるからです(言うほどボコボコでもないですが……)。しかしながらそうした違和感は、本音を言ってしまえば大好物です。ということで、本書はもっと多くの方に読んでもらえばいいと思います。