城平京『スパイラル 幸福の終わり、終わりの幸福』エニックス

 小説版の最終巻にあたります。
 本作では、これまで他の巻で外伝として収録されていた『小日向くるみの挑戦』が本編となります。ですが、漫画本編の内容に密接する内容も含まれており、もともと漫画の外伝であるノベライズのなかの更に外伝という位置づけだった作品が本編に関係する、という奇妙なねじれ構造になっているところも興味深いです(笑)。
 もともと外伝「小日向くるみの挑戦」はWEB上(ガンガンNET)で掲載されていました。いわゆる「読者への挑戦」があり、比較的ミステリとは縁が薄そうな読者から回答を募集していることからも分かるとおり、比較的よくできている清く正しいミステリ短編でした。
 「小日向くるみの挑戦」の内容は、漫画本編の主人公である鳴海歩の兄、清隆が失踪する前の話です。祖父に無理矢理鳴海清隆と結婚させられそうになっている小日向くるみが、「鳴海清隆に勝てば婚約を取り消せる」と言われ、彼が担当している事件を(清隆は警視)清隆より先に解決しようとするが、毎回清隆に負けてしまう、という感じのコメディチックなミステリ短編です。
 今作、『幸福の終わり、終わりの幸福』はいよいよ後が無くなった(外伝の)主人公・小日向くるみが、清隆の弟であり漫画本編の主人公である鳴海歩とタッグを組んで殺人事件に立ち向かいます。容疑者には完全なアリバイがある不可能犯罪に二人はどう立ち向かうのか?という、推理小説としては王道なお話です。
 漫画『スパイラル』の解説本である『LIFE IS SPIRAL』で、原作者・城平京はこう語っています。

 そもそも「推理」という行為は動きがありません。思考レベルで激しく動いてはいるのですが、肉体的には動いていません。
(中略)
 「推理」を始めた瞬間、動きは止まるのです。「推理」を語りだした瞬間にも動きは止まるのです。これは絶対です。「動いているようにみせる」ことはできても、実際に動くことはないのです。いみじくも「本格推理」マンガを企画した段階から「動き」なんて要素は入れられるわけがないのです。
 (スパイラル完全解説本『LIFE IS SPIRAL』p59より)

 確かに「動」が基本である漫画において、登場人物の動きを止めてしまう長い台詞が多発するミステリは相性が悪いです。*1同様に、登場人物の心情をくどくど語るのも物語の「動き」を止めてしまう危険性があります。漫画のノベライズはこの欠点をフォローし、「登場人物のビジュアルを読者に起想させる」という小説ではなかなか手が回らない部分は漫画で補完できるという、漫画と小説の良い相乗効果が期待できます。
 本作を含め、『スパイラル』のノベライズは本編でなかなか出来なかった純粋な「推理小説」に取り組んでおり、非常に好感が持てます。コナンくんや金田一少年からミステリに嵌まった人がいるように、漫画『スパイラル』からミステリに興味を持った人もいるでしょう。『スパイラル』ノベライズ版はそうした読者を掬い「ミステリ小説って面白そうだな」と水を向ける力は持っていると思います。それだけミステリの基礎体力を備えた小説だということですし、一方で過去のミステリ作品のオマージュも散りばめられていますので、ミステリ読みの方はまた違った面白さを見出せるかと思います。
【関連】『スパイラル ソードマスターの犯罪』
    『スパイラル 鋼鉄番長の密室』
    『スパイラル エリアス・ザウエルの人喰いピアノ』

*1:余談ですが、ジャンプでミステリマンガが短命だった原因もこれに起因していると思います。コナン、金田一デスノートが何故長い台詞を多用しているのに成功したかという着眼点の作品論も面白いかもしれません。(もうすでにどなたかが語っているかもしれませんが)