ハチワン=081=オッパイと読んでしまう人のための『ハチワンダイバー 4巻』将棋講座
- 作者: 柴田ヨクサル
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2007/09/19
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(以下、長々と)
4巻は何といっても二こ神対海豚戦がメインなので、それを中心に解説していきます。テーマは入玉と、それから最後に飛び出した逆転の大技についてです。
二こ神さんの得意戦法は何といっても雁木です。雁木戦法についての解説は2巻の将棋講座の方である程度触れていますので、そちらも参考になさって下さい。
さて、雁木とは基本的には相居飛車戦で用いられる指し方です。対振り飛車で雁木がまったく指せないわけではありません。右玉のような要領で指す雁木とかもなくはないです。しかし、それだと二こ神さん独特の指し回し、相手の攻め駒を責めながら入玉を狙う指し方は難しくなります。ですから、海豚七段が単に勝つことのみを望むのであれば、振り飛車を指すというのは選択肢として十分以上に有力だったと思います。相手の得意戦法を外すのも立派な戦略のひとつです。しかし、海豚七段はそうはせずに二こ神さんの雁木を真っ向から受けて立ちました。雁木に対する復讐心と、相手によって自分の将棋を曲げてたまるかという矜持と、おそらく両方の理由からだと思います。そうして迎えたp102の局面(第1図)です(漫画の方は視点によって盤面の上下が転換しますが、この記事内では先手:二こ神が下、後手:海豚七段が上で盤面図は統一します)。
●第1図
この図に至る一連の手のやりとりは、雁木の定跡書である『雁木伝説』p190以下で説明されている角交換雁木の形(参考図)と似ています。
- 作者: 毎日コミュニケーションズ
- 出版社/メーカー: 毎日コミュニケーションズ
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参考図以下、▲4六角△7三角▲5七角という指し方が紹介されています。▲4六角△7三角と互いに持ち角を打ち合ってから5七に引く指し方は、一見するとただの一手損のようにも思えます。角打ちから後手を引いたこの角引きの狙いは、後手に△7三角を打たせることで、その後▲7五歩から7三にいる角を目標にして指すことにあります。実際、この後、二こ神も▲7五歩と指して(p116)角の圧迫からの作戦勝ちを目論んでいます。定跡どおりなら先手有利の流れですが、将棋の場合同じようなかたちでも少しの違いが大きな違いとなってしまうことが多々あります。本局の場合も▲7五歩からの仕掛けが成立しているのかどうかは、定跡書よりも後手の玉形が良いだけに判断が難しいところです。
ここから数手進んで第2図(p120)です。
●第2図
駒割を見ると、角銀交換が行なわれていて、先手の駒損、後手の駒得で、この点では後手有利です。ただし、盤面を見ると二こ神が棋風通りに相手の攻撃陣を押しつぶしていて、6四と7四の歩はかなりポイントを稼いでいる手であることは間違いありません。ここで二こ神が指したのが図の▲6六銀打! です。
海豚七段は、「一瞬何がなんだかわからなくなるような手」「受けなのか攻めなのか」「いい手とは思えないが…」と評価に悩んでいます。私にもよく分かりません(笑)。個人的にはすぐに▲6五桂と跳ねてしまいたくなります。ただ、先手の主張は厚みですから、それを維持するための銀打ちは方針の一貫した手であることには間違いなくて、そうした手には悪手が少ないのも確かです。6六に銀を打ってから桂馬を跳ねれば後手△9九角成の狙いも消えてますから、落ち着いた手と言えるのかもしれません。「▲6六銀打に代わるこの局面での最善手はこれだ!」というご意見がありましたら、理由も沿えてお教えいただければ幸いです(ペコリ)。
さて、局面はさらに進んで第3図(p122)です。
●第3図
この図は推測図であることを予めお断りしておきます。大駒の枚数は互角に戻っていますが、金銀の枚数で後手が圧倒的に有利です。ただし、先手玉は入玉に成功しているので、容易には寄りません。っていうか、持ち駒が豊富だとはいえこの先手玉を詰ますのは至難の業です。将棋の駒は前に進むものが多く、さらに成駒を簡単に作られて玉が強化されてしまうので、自陣に進入した敵玉を詰ますのは難しいのです。ここに入玉将棋の恐ろしさがあります。
相手に入玉されてしまい詰ますのが難しくなったらどうすればいいのか? ひとつの方法として、こちらも入玉を目指すというのがあります。双方の玉が入玉してしまい詰ませる見込みのない状態のことを持将棋と言います。持将棋になったら、駒の持ち点で勝負を決めることになります。飛車・角は5点、その他の駒を1点として、24点を基準に計算します。双方24点以上なら引き分け、片方が足りなければ足りない方の負けとなります。
そうした観点から第3図以降の指し手を見ていきますと、p125の1コマ目で海豚玉も3三に上がって入玉を目指しているのが分かります(ちなみに、第3図からp125ページまでの手順は、2二の飛車が龍に成ってるのと6四の歩が消えてる手順がまったく不明なので推測不能でした。第3図の飛車が龍で、かつ6四の歩がいないとすれば、▲9四玉△7二角▲8三角△2七角成▲7三歩成△5四馬▲3六桂△3三玉 という展開が考えられます)。もっとも、3三に玉が上がってしまったことによって2一の桂馬がただで取られる形になってしまいました。持ち点で不利な二こ神としてはこれを逃す理由もないので▲2一龍として桂馬を取ります。しかし、これが海豚七段の仕掛けた罠でした。△3一金打▲1一龍△2二銀▲1二龍に△2一銀!!(p126〜127。第4図)
●第4図
龍を捕獲するために打った金銀4枚の塊はプロでなくても見ていて気持ちが悪くなってきます。ましてや、盤面全体での駒の働きを重視するプロの目からすれば、こんな局地的にしか働かない金銀のブロックなど愚形以外の何ものでもないはずです。しかし、ただでさえ飛車という大駒は大事な駒なのに加え、上述のように入玉将棋となった場合に大駒の点数5というのは勝敗に直結します。であればここでの金銀の投入というのも勝負という観点からは納得です。実際、この局面だけ見れば後手勝勢で、二こ神に投了をうながす海豚七段の態度も無理からぬところです。しかし、二こ神は最後の最後で狙っていました。▲2九香△同龍に▲5三桂成!!!!(第5図)
●第5図
二こ神の勝負手▲2九香に対して同龍が痛恨の大悪手*1。△同龍と取ってしまったことで、8三にいる角のラインに龍が入ってしまったわけです。すかさず▲5三桂成。この桂成は角のラインを通す龍取りであると同時に、5四の馬取りにもなっています。つまり馬龍両取りです。将棋は逆転のゲームとよく言われますが、それはこんな漫画みたいな手が実戦でも生じることが多々あるからです。本当に最後の最後まで気の抜けないゲームが将棋なのです。
ただし、この手で差が詰まったことは確かだと思いますが、△同馬▲2九角△1二銀で厳密にはまだ後手良しだと思うのです(いや、やっぱり厳しいか?)。いずれにしても、一度流れがおかしくなってしまうとどうにもならないのが勝負事の慣わし。第6図(p136)。
●第6図
第6図で後手玉は詰んでいます。玉の行く先は△5一玉だけですが、▲6二と金までの詰みです。
盤面の解説は以上ですが、それ以外の将棋に関する事柄について少々捕捉しておきます。
作中で、「初手から敵陣に逃げ込む感覚で指すなどプロにはできない」(p106)と言ってます。原則その通りです。ただし、ごく稀ですが最初から入玉を目指すプロの将棋がないわけではないです。第24回朝日オープン将棋選手権:中原誠永世十段対三浦弘行八段戦がそのレアケースです。これは、後手番の三浦八段が一手損角換わりという飛車先を伸ばすタイミングが一手遅れる戦法を選択したために、その遅れを突く意味で入玉狙いの指し方を選択したものと思われます。
とはいえ、最初から入玉を狙おうとすると自玉周辺から戦いを起こさなければならないためリスクも高く、余程の特異感覚の持ち主でない限り指しこなすことはできないでしょう。ただし、実戦の展開次第では、入玉を目指すのが最善という局面は十分にあり得ます。そうしたときの玉さばき、駒の点数の稼ぎ方といった独特の手筋の習得はかなり困難です。そんな手筋を教えてくれる珍しい本が『入玉大作戦』です。終盤での勝負術として、入玉という選択肢を忘れてたことで痛い目を見たことがあるという方も結構多いのではないでしょうか。そういう方に本書はオススメです。最初から玉の逃走を指南する絶望先生ばりにネガティブで変な棋書としてもオススメですが(笑)。
- 作者: 毎日コミュニケーションズ
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- 作者: 升田幸三
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ま、こんなところでしょうか。好きな漫画なので長々と語ってしまいました。何かありましたら遠慮なくコメント下さい。ばしばし修正します(笑)。
(その他参考文献)
- 作者: 原田泰夫
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・柴田ヨクサル・インタビュー
・『ハチワン』と『ヒカルの碁』を比較してみる
・ハチワンで考える将棋の強さとは何か?
*1:ただし、△同龍以外だと、龍がどこに逃げても▲2五桂からの追求が厳しいように思います。してみれば、▲2九香自体が逆転の一手で、その前の龍を捕獲した構想が問題だったとも考えられます。ご意見等ございましたらお教えいただければ幸いです。