『ヒンデンブルク号の殺人』(M・A・コリンズ/扶桑社ミステリー)

ヒンデルブルク号の殺人 (扶桑社ミステリー)

ヒンデルブルク号の殺人 (扶桑社ミステリー)

 『タイタニック号の殺人』に続く、コリンズの”大惨事”シリーズ第二弾は、ヒンデンブルク号爆発事故(参考→Wikipedia)をモチーフに、〈聖者〉シリーズで知られる推理小説作家レスリイ・チャータレスを主人公にしたサスペンス色の強いミステリーです。
 猫は勘定にいれませんさんの『シャーロック・ホームズと賢者の石』の書評において、ホームズのパスティーシュ聖典の一編であるかの如く作風まで模倣するものと、聖典の作風にはこだわらずホームズというキャラクターを独自の解釈で描いたものとの2つに大雑把に分類できるという主張がなされてますが、歴史ミステリーにもこれと同じことが言えると思います。すなわち、可能な限り史実に基づいて描き仮にここに描かれていることが真実であってもおかしくないものと、歴史上の出来事を独自の解釈で描くものとの2種類です。もちろん、小説というフィクションである以上、作家の解釈というものが入り込んでいるのは必然なので両者は程度問題に過ぎないのですが。で、前作『タイタニック号の殺人』は、分かる範囲において史実を採用し詳細不明な船内の出来事について独自の物語を描いていることから前者に分類できます。一方、本書は、ヒンデンブルク号の処女航海には搭乗しているけど、爆発事故が発生した際のフライトには搭乗していないチャータリスを乗客にしたりしていることなど史実による縛りが緩く、後者に分類される歴史ミステリーだといえるでしょう。従いまして、ヒンデンブルク号爆発事故そのものや、あるいはチャータリスについての知識を得ようと思って本書を読もうとする場合には、フィクション度が高めなので、その端緒にはなり得ても満足できるものではありません。
 ですから、ミステリーとしても大惨事を描いた物語としても正直不満はあるのですが、しかしそれはそれとして面白く感じたところもあります。それは、1937年という時代を背景にした、ナチスドイツとアメリカ政府との微妙な駆け引き、さらにはドイツ国内の反ナチスの抵抗運動の存在といった謀略の存在です。チャータリスは船内で発生した乗客の行方不明事件を調査するために関係者一人一人に事情を聞いて回るのですが、そうした展開は前作とまるで同じ、ハッキリ言ってワンパターンです。しかし、前作と違って謀略・さらには爆発事故との関連性があるので、前作よりも面白いです。
 1937年のドイツではすでにユダヤ人の迫害が始まっていますが、ここから更なる迫害・大虐殺へと加速していきます。その過程をつづった物語としては『あのころはフリードリヒがいた(プチ書評)』がオススメです(『フリードリヒ』では、1933年から1942年までのドイツにおけるユダヤ人迫害の様子が描かれています)。そうした歴史的な流れからすれば、本書の時点での迫害などまだまだ序の口で、だからこそこうした娯楽ミステリーが成立する余地がまだ残されているわけですが、それでも、ここから第二次世界大戦下の悲劇へとつながるような予兆はしっかり描かれています。ヒンデンブルク号爆発事故という局所的な出来事ではなく、1937年という広い意味での歴史ミステリーとしての意義が本書にはあると思います。
 あと、少々ネタバレ気味にはなりますが、本書の最後の最後で明らかになる犯人・真相には考えさせられるものがありました。いや、ミステリーとしては唐突でそれでいて驚くようなものでもないので本来なら不満なはずなのですが、そこで判明する犯人の人間像に妙なリアリティを感じました。
 ちなみに、出版社のブログによれば、次回作の刊行は保証されていないみたいです。正直言いますと、チャータリスみたいなよく知らない作家(←超失礼)よりも、ヴァン・ダインやクリスティの方が数百倍興味がありますので(笑)、何とか続編が刊行されることを切に願っております。
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