『ルシアナ・Bの緩慢なる死』(ギジェルモ・マルティネス/扶桑社ミステリー)

ルシアナ・Bの緩慢なる死 (扶桑社ミステリー)

ルシアナ・Bの緩慢なる死 (扶桑社ミステリー)

 問題意識には共感できるけどお話としてはイマイチな作品、というのはたまにあると思うのですが、本書はまさにそんな作品です。
 作家である「私」の元にかかってきた一本の電話。10年ぶりに聞くその声は、かつて有能で美貌のタイピストとして彼の仕事を助けてくれたルシアナのものでした。彼女は彼に自らと家族の命の危機を訴えます。10年の間に起きた近親者の相次ぐ死。一見すると無関係と思われるそれらの死は、実は一人の大作家クロステルの復讐心によるものだということを……。
 自然的な因果関係とは原因に基づいて結果が発生する関係を意味します。ところが、殺人における死という結果と、その結果を発生せしめた行為との社会的な因果関係については、必ずしも原因があって結果があるという関係だとは限りません。まず死という結果があって、そこから遡って社会的に責めを帰するのに妥当な原因とは何かが逆算されます。このとき、因果の関係は逆転しています。そして、そのように結果から原因を考える場合において、人は常識という名の推測・パターンを重視します。そこに虚構が入り込む余地があります。換言すれば、物語によって事実と事実がつながれてしまうのです。無意味な関係に意味を求め、偶然性に必然性を求めることによって、虚構と現実の関係は逆転します。
 その一方で、虚構の中において安直な因果関係を否定しようとする動きもあります。推理小説(ミステリ)とは決まり事やお約束の多いジャンルですが、本書はそうしたジャンル性を意識しつつも、それとはあえて違った道を示そうとしています。

彼の物語には、いくつもの層に浸透し、埋もれていた恐怖を掻き立てるという意味で、ほとんど物理的といっていい残酷さがあった。しかも、彼の作品は厳密には探偵もの、、、、ではなかった(どれほど私たちが、単なる探偵ものの作家として彼を切り捨てたかったことか)。
(本書p12〜13より)

推理小説で大切なのは一体何です? もちろん事実でも、累々と築かれる死体でもない。大切なのは、そのを読むこと、つまり推論であり可能性の高い説明なのです。
(本書p134より)

 現実において因果関係をいかに理解するべきか。そして、虚構において因果関係をいかに作り上げるべきか。現実と虚構とでの作用―反作用の法則の緊張関係を解きほぐす法則は果たして存在するのか。かように問題意識そのものは非常に共感できますし、そこで行なわれている考察も興味深いものだと思うのですが、如何せんオチがなんとも……。
 前作『オックスフォード連続殺人』と比べると、本書はサスペンス色が強いですし、書きたての小説の官能的な場面を女性に読ませたりするセクハラ紛いの場面があったりして、解説にもあるとおりフランスミステリっぽいです。ですが、「私」とクロステルとの会話によってストーリーが進んでいく物語の形式や本作の問題意識といった内実には、やはり前作と相通じるものがあります。本書よりも『オックスフォード連続殺人』の方がオススメではありますが、前作が気に入った方であれば本書を読んでも損はないと思います。



 ちなみに、作中に囲碁の劫についての説明がでてきますが……。

「時として、対戦相手が互いに同じ一手を繰り返さざるを得ない、〈劫〉という状態になることがあります。二人のうちのどちらも手詰まりを打破することができない。定石を外れた一手はすぐに負けにつながるからです。ただ何度も何度も同じ手を互いに繰り返すことはできる。メルセデスとの日々もそれと同じでした」
(本書p171〜172より)

 言いたいことは分かります。分かりますが、囲碁のルールとしては、劫において何度も何度も同じ手を繰り返すことは禁止されています。それをやってしまったら反則負けになってしまうので気をつけてくださいね(笑)。
【参考】コウ - Wikipedia