メタ小説に関する覚書
いわゆるメタ小説と呼ばれるものには3つのパターンがあると思います。
1.は、小説について論じている小説のことです。例えば、J・D・カーの『三つの棺(書評)』では、作中の登場人物が自らが推理小説内の人物であることを自覚しながら密室殺人講義を開始します。また、島本和彦『吼えろペン』は漫画内で漫画のことを語っているメタ漫画といえるでしょう。
2.は、いわゆる作中作、マトリョーシカによるメタです。作中にAという小説があって、そのA小説についてそれを読んだ人物たちが言及するBというパートがあるとします。これだけならよくある小説ですが、Aの人物たちがBの部分にまで出てきたり、あるいはBの人物たちがAの中に入っちゃったりすると、小説内の位相が崩壊してメタなものとなります。ただ、この型の場合、ミステリだとメタ小説と呼ぶのに違和感はないのですが、SFだと微妙になりますし、ファンタジーだと別にメタじゃない気もします。要検討です。ちなみに、具体作としては鯨統一郎『ミステリアス学園(書評)』などがあります。
3.は、作中の人物を通り越して読者を対象にした叙述がなされている小説のことです。すべての小説は読者を意識して書かれていますが、どのような人称を用いようとも、普通は作中の人物の視点を通じて読者に物語を訴えます。ところが、このタイプのものは登場人物を無視して読者に直接アプローチしてきます。逆に言えば、作中の人物にとってまったく関係のない文章があるということになります。これもやはりミステリでは、特に最近のものは採用度が高いのですが、具体例としてタイトルを挙げちゃうとそれだけでネタバレになっちゃうのが困ったところです(笑)。それでも、歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ(書評)』は有名ですのでタイトルくらいは挙げても罰は当たらないでしょう。叙述トリックについては黄金の羊毛亭さんの叙述トリック概論、叙述トリック分類が詳しいので興味のある方はぜひご覧になってみて下さいませ。
もっとも、実際にメタ小説といわれるものには、これらの3つのパターンが複雑に絡み合ってるものも見受けられます。入れ子細工型は、作中作の解釈において文学論が始まるとあっという間に自己言及型へとシフトしがちです。また、入れ子細工型において、一番大きな枠として読者を巻き込むものがありますが、そういうのは叙述トリック型との複合型といえるでしょう。
以上、メタ小説について語ってきましたが、覚書というよりは試論です。異論反論大歓迎です。また、各パターンの名称についても納得しているわけではないので(”叙述トリック型”ではあまりにミステリ寄り過ぎます)、もっと良いのを思いついたら急に変更する可能性も大です。そういう意味では叩き台ですのでご自由にお使い下さいませ(笑)。
【関連】
・メタとは何ぞや?
・西尾維新『戯言シリーズ』と谷川流『学校を出よう!シリーズ』を対比させてメタについて考察してみました。
・仮説:メタ=メタフィクション+超虚構
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