『犬神家の一族』で考える遺言の内容の法的有効性
- 作者: 横溝正史
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アホヲタ法学部生の日常さんをリスペクトして法律ネタを書いてみようのコーナー第三弾です(ちなみに、第一弾がこちらで第二弾がこちらです)。もっとも、今回はヲタ系のネタとはちょっと違うので何ですが(笑)。
推理小説に出てくる遺言状にはときどき変なものがあります。
遺言状に何を書いても法的に有効となるいうことはありません。遺言でなしうることについては民法できちんと決められています。とは言え、相続分の指定、あるいは相続人以外の第三者への相続財産の遺贈といったことは法律で定められているのでもちろん可能です。自己の財産を死後誰に残すのかの判断は基本的にはその人の自由です。しかし、だからといってまったくの自由というわけではありません。例えば、「○○を殺したものに全財産を与える」みたいな明らかに違法な内容の遺言は公序良俗違反(90条)で無効です。
では、以下のような場合はどうでしょうか。
(以下、長々と犬神家の遺言状。)
ひとつ。犬神家の財産、ならびに全事業の相続権を意味する、犬神家の三種の家宝、斧、琴、菊は次の条件のもとに野々宮珠世に譲られるものとす。
ひとつ。ただし野々宮珠世はその配偶者を、犬神佐兵衛の三人の孫、佐清、佐武、佐智の中より選ばざるべからず。その選択は野々宮珠世の自由なるも、もし、珠世にして三人のうちの何人も結婚することを肯ぜず、他に配偶者を選ぶ場合は、珠世は斧、琴、菊の相続権を喪失するものとす。
ひとつ。野々宮珠世はこの遺言状が公表されたる日より数えて、三か月以内に、佐清、佐武、佐智の三人のうちより、配偶者を選ばざるべからず。もし、その際、珠世の選びし相手にして、その結婚を拒否する場合には、そのものは犬神家の相続に関するあらゆる権利を放棄せしものと認む。したがって、三人が三人とも、珠世との結婚を希望せざる場合、あるいは三人が三人とも、死亡せる場合においては、珠世は第二項の義務より解放され、何人と結婚するも自由とす。
ひとつ。もし、野々宮珠世にして、斧、琴、菊の相続権を失うか、あるいはまたこの遺言状公表以前、もしくは、この遺言状が公表されてより、三か月以内に死亡せる場合には、犬神家の全事業は、佐清によって相続され、佐武、佐智のふたりは、現在かれらの父があるポストによって、佐清の事業経営を補佐するものとす。しかして、犬神家の全財産は、犬神奉公会によって、公平に五等分され、その五分の一ずつを、佐清、佐武、佐智にあたえ、残りの五分の二を青沼菊乃の一子青沼静馬にあたえるものとす。ただし、その際分与をうけたるものは、各自の分与額の二十パーセントずつを、犬神奉公会に寄付せざるべからず。
ひとつ。犬神奉公会は、この遺言状が公表されてより、三か月以内に全力をあげて青沼静馬の行方の捜索発見せざるべからず。しかして、その期間内にその消息がつかみえざる場合か、あるいはかれの死亡が確認された場合には、かれの受くべき全額を犬神奉公会に寄付するものとす。ただし、青沼静馬が、内地において発見されざる場合においても、かれが外地のいずれかにおいて、生存せる可能性ある場合には、この遺言状の公表されたる日より数えて向こう三か年は、その額を犬神奉公会において保管し、その期間内に静馬が帰還せる際は、かれの受くべき分をかれに与え、帰還せざる場合においては、それを犬神奉公会におさむることとす。
ひとつ。野々宮珠世が斧琴菊の相続権を失うか、あるいはこの遺言状の公表以前、もしくは公表されてより三か月以内に死亡せる場合において、佐清、佐武、佐智の三人のうちに不幸ある場合はつぎのごとくなす。その一、佐清の死亡せる場合。犬神家の全事業は協同者としての佐武、佐智に譲らる。佐武、佐智は同等の権力をもち、一致協力して犬神家の事業を守り育てざるべからず。ただし、佐清の受くべき遺産の分与額は、青沼静馬にいくものとする。その二、佐武、佐智のうち一人死亡せる場合。その分与額同じく青沼静馬にいくものとする。以下、すべてそれに準じ、三人のうち何人が死亡せる場合においても、その分与額は必ず青沼静馬にいくものとなし、それらの額のすべては、静馬の生存如何により前項のごとく処理す。しかして佐清、佐武、佐智の三人とも死亡せる場合に於ては、犬神家の全事業、全財産はすべて青沼静馬の享受することとなり、斧、琴、菊の三種の家宝は、かれにおくられるものとなす。
(『犬神家の一族』p66〜70より)
……なんと複雑で陰険な遺言でしょう(笑)。これだけ読んでも何のことやら分からないと思います。気になる方は作中の説明をお読み下さい。いろんな意味で周到なものであることがお分かりいただけると思います。
さて、作中に登場する弁護士は、この遺言の法的な有効性を完全に保証しています。遺産分割の一定期間の禁止は法律でも認められていますし(908条)、財団法人設立の寄付行為も可能です(41条2項)。遺言の効力で条件を付すこともまた可能です(985条)。ただ、このように結婚相手を限定することで効力発生の有無をかからしめるような条件(第二項、第三項)は、婚姻の自由に反するものとして無効なもののようにも思えます。しかし、例えば、自分の娘が気に入らない相手と結婚したら援助せず、そうでなかったら援助する、といったようなことは生前なら私的自治の原則に即したものとして普通に認められるでしょう。であるならば、生前許されていたものが遺言になったら許されないというのも変な話でしょうから、この遺言はやはり有効なものとなるのでしょうね。しかし、三か月以内に結婚相手を決めろとは何とも無茶な話です。この点については私も自信があるわけではないので、ご意見どしどし募集しております。
しかし、とにもかくにも有効であると考えられたからこそ本書のような陰惨な殺人事件が発生したわけで、遺言の内容はできるだけ穏便なものにした方が絶対に良いでしょうね(笑)。
また、本来なら(裏の事情はここでは加味しないことにします)相続人は松子・竹子・梅子に青沼静馬の4人ですが、松子・竹子・梅子はこの遺言状を通して無視されていますし、静馬も野々宮珠世が候補者三人のうちの誰かと結婚した場合にはやはり一銭も貰えません。こうした場合には遺留分の減殺請求(1031条)を主張することによって、本来の相続分の2分の1の範囲で自らへの相続財産の帰属を主張することができます。犬神家の財産となれば本来の半分でも相当な額になるでしょうから、それで満足するのも十分ありでしょう。遺言状の開封作業の場において遺留分の説明をしなかった古館弁護士の失敗は看過できないものがあると思います。
ちなみに、ここまで私は当たり前のように現行の民法を基準に話をしてきましたが、本作の設定は昭和2Xとなっています。そして、現行民法の施行年は昭和22年なので、必ずしも現行民法の考え方が当てはまるとは限りません。で、旧民法のことはよく分からないので今回はスルーしました(笑)。古舘弁護士による遺留分の説明がなかったことからして、ひょっとしたら22年より前が舞台として想定されているのかもしれませんね。
ということで、『犬神家の一族』を出汁にして遺言の内容の有効性について適当に語ってきましたが、『犬神家の一族』自体とても面白い作品です。複雑な遺言状に込められた意味と誤算。裏に隠された人間関係はバレバレなのですが、それがパズルめいた遺言と絡み合い、やがて明らかになる真相との関係性には驚かされました。時計と指紋の使われ方も巧みです。ショッキングな場面も多いこともあってテレビドラマや映画の原作として愛されている作品ではありますが、こうして文章で読むと理知的な面に発見があって楽しめる作品です。本格ミステリとしての論理的な面白さはさほどではありませんが、複雑怪奇な遺言状からこんなにスマートな結末が導き出されたことには感嘆しました。ご都合主義を超越した計算高さには脱帽です。オススメです。
【2007.0713追記】アホヲタ法学部生の日常さんに、犬神家の遺言というエントリで捕捉かつ補足していただきました。どうもありがとうございます。ronnorさんは無効説を採られていますので、必ずお読みになって下さいませませ。また、旧民法にも遺留分が定められていた旨もご指摘いただきました。だとしたら、古館弁護士の過失は確定的ですね。重ねて感謝です。
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