『ナポレオンの剃刀の冒険』(エラリー・クイーン/論創社)

ナポレオンの剃刀の冒険―聴取者への挑戦〈1〉 (論創海外ミステリ)

ナポレオンの剃刀の冒険―聴取者への挑戦〈1〉 (論創海外ミステリ)

 ラジオ版「エラリー・クイーンの冒険」としてクイーン自身が書いた脚本を読み物として編集した8作品が収録されています。
 もともと一般聴取者向けということもあり、ミステリとしてはどれも分かりやすい構成となっています。また、ラジオ番組は小説とは違って気になる箇所を読み返すといったようなことはできません。そうした点も配慮されていますので本書自体のミステリ的な難易度は初級者向きです。これが実際にラジオドラマだとどう感じるものなのかは非常に気になるところです。
 脚本であるがゆえに、ミステリとしてのプロットが小説という形式よりもシンプルな形で表現されてます。その点はクイーンについて学究趣味を感じるファンにとってはとても魅力なのではないかと思います。それに、確かにミステリとしては易しいものではありますが、〈読者への挑戦状〉ならぬ〈聴取者への挑戦状〉を挟むそのスタイルはクイーン(しかも初期の国名シリーズ)の作風以外の何物でもなくて、これには一ファンとしてニヤニヤせずにはいられません。
 本書には訳者による30ページに及ぶ詳細な解説がついているので特にそれ以上付け加えることもないのですが(笑)、ネタバレにならない範囲で以下に簡単な雑感を。
 ナポレオンの剃刀の冒険は密室状況下での宝石の消失と、それに関連した殺人事件の犯人当てがテーマです。本当にこれが上手くいくとしたら警察が間抜けとしかいいようがありませんが(笑)、でもミステリとしては非常によくできていると思います。
 〈暗雲〉号の冒険は遺言状の草稿としての録音が事件の鍵を握ります。解説にもあるように何が謎なのかがさりげなく隠されている点がポイントです。ただ、これは実際にラジオとして聴かないとちょっと分かりにくいですよね(苦笑)。ラジオドラマの脚本としては秀逸です。
 悪を呼ぶ少年の冒険は、そもそものタイトルからして、ファンとしてはやはり『Yの悲劇』とのメタな関連性をどうしても気にせずにはいられません。そうでなくても、タイトルで暗示されているような方向へと推理によって真相が絞り込まれていく過程にはとても緊張感があります。
 ショート氏とロング氏の冒険は、理屈としては分からなくもないです。ですが、そのまま逃げちゃったほうがよくね?(笑) クイーンが風邪で寝込んでいるために電話を通じて現場の状況を知ることになるのですが、それもあって事件は意外と難航します。クイーンというと推理力・分析力に目が行きがちですが、その前提となる現場を調査してデータを収集する実務的な注意力にも秀でていることを本作は教えてくれています。
 呪われた洞窟の冒険は、クイーンにしては珍しくオカルトな雰囲気が漂っています。不可能犯罪ばかりを扱っている割にカーとは違い幽霊とかのオカルトはほとんど話題にならないのですが、それというのも犯人対探偵=人間対人間の対決の構図がクイーン作品の基本だからなのでしょう。足跡のトリックもさることながらそこから犯人へとつなげるロジックもスマートで、ラジオドラマのくせにかなりの傑作だと思います。
 殺された蛾の冒険は、タイトルどおり殺された蛾という手掛かりからあれよあれよという間に犯人が特定されていく推理の流れがホントに鮮やかです。短編ミステリとしての理想形だと思います。
 ブラック・シークレットの冒険は、古書店を舞台にしたミステリ。贋作・盗難・殺人と3つの謎があって、それぞれに趣向が凝らしてあるのは見事だと思います。ただ、それぞれの謎にあまり関連性がないために、長さの割には小粒に感じてしまうことは否めません。それと、この真相でなぜこんなにも朗らかに笑っていられるのかもちょっと謎です。いや、途中過程のコメディタッチな面白さは認めますが、でもこの真相はかなり微妙だと思います。
 三人マクリンの事件は、これはもうショートショート。頭の体操としてきちんとまとまったものになっています。
 ラジオドラマの脚本が元になっているので、物語は台本と同じく書割による登場人物のセリフによって進んでいきます。クイーンの作品における会話の面白さというものを再認識することができます。ファンならもちろんのこと、そうでない方にも初級者向けの傑作短編ミステリ集として、多くの方にオススメしたい一冊です。
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【オマケ】
 以下は、収録作「悪を呼ぶ少年の冒険」についてネタバレを前提とした法律的な観点からの戯言です。未読の方はご遠慮ください。
 「悪を呼ぶ少年の冒険」ですが、これ、ミステリ的な答えとしては、犯人はサラ・ブリングということになるのでしょうか? まあそういう見方もできなくはないでしょう。ただ、クイーン自身がゴルディーニは、ボビーを無垢な凶器として利用し、自らはサラ・ブリングに対して裁判官と死刑執行人をつとめるという、かなり冷酷な選択をしたわけさ。と述べているように、普通に考えれば犯人はゴルディーニということになると思うのです。
 アメリカの法律のことはよく知らないのでこれから先はわが国の刑法の知識を基に話を進めていきますが、ゴルディーニは情を知らないボビーを利用することでシチューの入れ替えを行い、結果としてサラが中毒死しました。これは、他人を道具として利用しあたかもみずから直接に実行したと同様の犯罪行為、つまり講学的には間接正犯(=ボビーは単なる道具)として殺人罪に問われる可能性があります。
 ただし、結果発生の認識、つまり故意の認定については議論の余地があります。ゴルディーニは、サラがウサギに砒素を与えていることを知ってたわけですから、ある程度の危険性を認識していたことは確かです。しかし、実際に砒素が混入されるのかどうかはサラの行為如何にかかっているわけで、この点についてはゴルディーニにも具体的な認識のしようがなかったものと考えられます。その意味で、ゴルディーニの行為に殺人罪としての結果発生の認識、すなわち故意があったものと認定するのには正直躊躇いを覚えます。
 また、仮にゴルディーニの行為が殺人罪に該当するものだったとしても、今度は違法性の面で別の問題が生じます。ゴルディーニはシチューの入れ替えを指示することでサラを死に至らしめる結果を招来させましたが、それは他方でサラが毒殺しようとしていたフローレンスの命を救うためのものでもありました。したがって、他人の生命を助けるために別の他人の命を奪った行為として刑法第37条で定められている「正当防衛」の適用の可能性が考えられるからです*1。ただ、これが認められるためには急迫性とか防衛行為の相当性とかの要件を満たさなくてはならないのですが、複雑な事案なだけに「正当防衛」に当たると断定するのにも正直躊躇いを覚えます。
 このように本作には法律的な観点からの面白い疑問がいくつか考えられます。それらについて、私自身は定まった見解を持ち得ずにいます。上記の点(あるいは他の法的論点)などにつきまして何らかのご意見などございましたらお気軽にコメントなどいただければ幸いです(ぺこり)。ってか、ぶっちゃけ誰か教えてくださいませ(涙)。

*1:刑法第36条1項 急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。2項 防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を軽減し、又は免除することができる。