『”文学少女”と死にたがりの道化』(野村美月/ファミ通文庫)

※以下、既読者限定でお願いします。また、元ネタになってる本も読んでて当たり前というスタンスですので、そちらも予めご了承下さい。
 このシリーズは、基本的にはミステリ的プロットに基づいています。五章の文学少女の推理という章題がそのことを如実に表しているわけです。ただ、これだから文学少女は油断がならない。およそ現実的じゃないから、目を離すと何をしでかすかわからない。平気で他人を巻き込む。(p19)というように、その推理はおよそ現実的なものでもなければ、通常のミステリのように緻密な論理・あるいは伏線を基にした推理といったものではまったくありません。本来なら不完全なもののはずなのですが、にもかかわらず、そこで提示される真相を真実として受け止めることができるのは、元ネタの文学作品が底流にあるからです。元ネタとなっている作品をモチーフとして利用することで、真相に説得力と迫力を持たせることに成功しているわけです。換言すれば、元ネタに依存(あるいは寄生)することでミステリとしての体裁を保っている、とも言えます。登場人物の心理の書き分けもバランスが取れてるとは言えません。基本的に心葉の一人称で進行している物語の性質上仕方がないのかもしれませんが、脇役は突然登場して唐突に去ります。その書き込みはとても浅いです。にもかかわらず本書が物語の厚みを保っていられるのは、これもまた元ネタの力があってこそでしょう。
 本シリーズの探偵役である天野遠子は物語を文字通りむしゃむしゃ食べる”妖怪”です。心理ドラマが主であるこのシリーズにおいて、そうした奇天烈な設定は無用なもののように思えます。物語の読み応えを食べ物の味に例えて表現しておきながら、分からないはずの食べ物の味は想像で補うという設定はとても苦しいです。こうした設定に何の意味があるのか? 単なる読書好きじゃだめなのか? 理由はいくつか考えられますが、その一つとして、こうした元ネタが物語の根幹をなしているという不自然さを緩和しているという意味合いはあるんじゃないかと思っています。
 このように、元ネタの存在は本シリーズではとても大事です。したがいまして、元ネタになってる作品、本書の場合ですと『人間失格』になるわけですが、それに対して愛着を持ってる方からすれば、ひょっとしたら本書にあまりよい印象を持たれないかもしれません。ただ、私自身について言いますと『人間失格』はとても思い入れのある作品ではあるのですが、それでも本書はとても面白かったです。この文学少女シリーズは、元ネタとなっている作品の読み方について、決して一面的な解釈を押し付けようとはしていません。仮に元ネタとなってる作品について譲れない意見・解釈を持たれている方でも、それはそれとしてこの物語を受容できるんじゃないかなぁと思います。
 『人間失格』の絶望的で欺瞞に満ちた作品の性質は、心葉にも竹田さんにも片岡愁二にもそれぞれ投影されています。しかし、彼らの生き方はそれぞれまったく違います。それは、彼らが『人間失格』から受けた印象が同じように見えて細かいところで違っているからかもしれません。というより、まったく同じであるはずがありません。自己と外界とのギャップ・他者とは違う自分への不安、そういうものは誰だって何かしら思い当たるところがあるでしょう。だからこそ人は仮面(ペルソナ)をかぶって生きています。何も感じられないから感じられる振りをして仮面をかぶっているというのなら、なぜ竹田さんはそんなにも苦しいのでしょうか? 完成度の高すぎる仮面は、自分自身の内面までもそのようなものにしてしまうのでしょう。でも、内面は変化し得ます。そうなれば、昔の仮面では隠し切れなくなることだってあります。それでも仮面に内面をあわせ続けるのでしょうか? ちょっと横道にそれますが、いわゆるツンデレというのは、ツンという完成度の低い仮面によって成り立っている属性じゃないかと思います。
 二段オチというのも本シリーズの大きな特徴の一つです。物語の盛り上がり方として、例えば本書であれば、本来なら第五章の推理を大オチにしても良いはずなのです。にもかかわらず、この後にすぐさらに大きなヤマが訪れます。どちらのヤマにも『人間失格』が使われています。最初のヤマだと葉蔵の心を読み解く立場だった竹田さんが、次のヤマだと葉蔵の役割を担います。こうすることで、元ネタとなっている作品に対しての多用な解釈が試みられているわけです。暗いと評されることの多い『人間失格』ですが、闇にもいろいろな種類がありますし、真っ暗闇の中に光を見出すことだったできるでしょう。もっとも、このシリーズ内においては、探偵役である文学少女の遠子先輩の読み方が一定の力を有してしまうことは仕方のないことです。ですけど、多数の読み方が提示されているのですから、元ネタ既読者なら何かしら感じるところはあるでしょうし、未読の方であればぜひ元ネタに触れることで自分なりの読み方を感じ取って欲しいところです。なぜなら、元ネタの利用という本シリーズの構成は、一見すると元ネタのモチーフは一巻完結のように見えます。しかし実際は次巻以降へと引き継がれて澱のようにたまっていき、4巻では臨界寸前の状態になってます(この点については4巻の書評で詳しく論じることにします)。一応元ネタが未読でも楽しめるようになってる(心葉は元ネタを未読orあまり覚えてない)本シリーズではありますが、事後でもよいのでぜひ読まれることを推奨します。先に、本シリーズは元ネタに依存・寄生している、というようなあえて意地悪な表現をしましたが、文学作品の元ネタとしての使用には、いまどきの読者がラノベ特有のもの思ってしまいがちな要素・展開が、実は必ずしもそうではないということを教えてくれていると思うのです。新城カズマライトノベル「超」入門』でも述べられていますが、そうしたものは昔の文学作品の中にも多く見ることができるのです。だから、ライトノベルしか読まないという変わった(?)方でも、せっかく本シリーズに出会えたのですから元ネタの文学作品をぜひ読んで欲しいです。面白いですから! ……もっとも、『人間失格』のような作品を”面白い”と言ってしまうのには自分でも違和感を覚えまくりです。しかし、そんな絶望的な物語にだって意味があることを教えてくれるのがまさに本書なのですから。
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