棋士のブログ・コメント欄について(結論はありません)

 棋士及び女流棋士が自身のホームページやブログ(以下「ブログ」と総称)を持つ事は、将棋の普及やファンの拡大に大きな役割を果たしていると思います。しかし、書き込み自由の掲示板やコメント欄はこの度のような問題が起きた時、根も葉もない噂、関係者の内部告発、更には読むに耐えない誹謗中傷の場に成りかねません。 
 ところが、いつ書き込まれるか分からない掲示板やコメント欄に、棋士本人が24時間目を光らせていることは不可能です。またコメント欄を開放している以上は、問題ある発言だからといって安易な削除はし難いでしょう。
 しかし、放置すればブログの管理者である棋士がその発言を黙認したと受け止められかねません。ですから棋士がブログを開くなら、最初から掲示板やコメント機能をカットすべきではないでしょうか。
 ファンの皆様の声は、棋士本人が読むだけのメールを受け付ければ良いわけです。また、その声をサイトに載せたければ、棋士自身が目を通した上で掲載すれば良いのであり、それがブログを持つ棋士の責任だと思います。事実、タイトル戦の応援掲示板への書き込みの大半は、担当記者の目を通してからアップされています。勿論、棋士本人の意見があるならば堂々と述べれば良いわけです。
(『将棋世界 2007年6月号』p232 『森下卓理事が見た女流独立問題』より)

 いろいろと考えさせれる文章だったので、長文ながらも引用しました。将棋に興味のない方もいらっしゃるでしょうから前置きとして述べておきますが、引用文中のこの度のような問題とは女流棋士の独立問題のことです。で、私はこの問題にはほとんどまったく興味がありません。しかし、どうやら将棋ファンの多くはこの問題に興味・関心があるらしく、一方、連盟はこの問題についてほとんど公式なアナウンスを行なってきませんでした(だからこそ今回の森下理事の文章が発表されたわけですが)。そこに議論が白熱する下地があると思いますが、いずれにしても女流独立の是非とかは本稿の趣旨とは一切関係ありませんので予めご了承下さい。
(以下、ぐだぐだと。)
 引用文を読んで思ったのは、ずいぶん神経質になってるんだなぁ、ということです。私も棋士のブログのいくつかは毎日のようにチェックしてますが、コメント欄などまず見ませんし投稿したこともありません。ですからどんなことが書かれてるのか分かりませんが、理事がこうして書いてる以上は影響がそれなりにあるみたいですね。そうした発言について根も葉もない噂であると、判断材料を持っている当事者が感じるのは至極当然のことでしょう。しかし、そうした材料を持ってないファンからしてみれば、根も葉もない噂と言われても納得できないこともあるでしょう。事実に基づいた発言を望むのであれば、連盟側の一層の情報公開が必要でしょう。自らは情報公開をせずに周囲の情報を都合よく統制しようというのは、議論を萎縮させてファンの活動を消極的なものにしてしまいますし方法論として無茶です。
 コメント欄の発言の削除は難しいというのは、仮にもブログの管理人をしている一人としてまったくそのとおりです。もっとも、今までうちでは削除したくなるコメントが書かれたことは一度もありませんけどね(多分)。しかし、だからといって掲示板やコメント機能のカットを棋士の責任とまで言ってしまうのはどうでしょうね? いや、分からなくもないのです。人気があればあるほどその管理は大変なものになるでしょうし、実際そういうブログだってたくさんあります。閲覧者からすれば、そうした機能のカットは管理人との敷居が高いものになってしまいますし、発言の場も減ってしまうことになるので基本的には反対でしょうが、どんな機能を利用するかはそのブログの管理人の自由です。一方で、コメント欄の開放にはそれなりの意義もあります。そうした機能をカットしてしまうと発言がしづらくなるのは勿論のこと、発言者と管理人間のみでの閉じた意見交換になりがちです。それに対して、開放しておくとやはり気楽に発言できますし、横やり・横レスが入って意見が膨らみます。コメントによって前のコメントの間違いが即座に是正されるということもあります。そうした議論を歓迎しているサイト・ブログもまたあります。当サイトではそうした議論は大歓迎ですが、本文の内容もしくは管理人を無視しないで欲しいとは思います(辺境だから無用の心配とか言うな)。しかし、議論の白熱は誹謗中傷の温床となりかねないこともまた否定できません。それはそうなのですが、誹謗中傷の放置=棋士がその発言を黙認、というのは論理の飛躍が過ぎるでしょう。発言者と管理人は明らかに別人格です。ただ、誹謗中傷のコメントが見苦しいのは確かなことですし、名誉毀損に当たるようなコメントの放置はそのブログの管理人にも責任が及びかねません(→参考)。個人的にはそうしたコメントは気付いたら速攻で削除すべきだと思います。しかし、削除するのは炎上のもと、みたいな話も聞きます(ちなみに私は、変なコメントだと判断したら躊躇なしに即削除する主義ですが、その基準はおおらかなつもりです)。炎上しちゃったら解決策はコメント機能のカットということになるでしょう。だったら、最初からカットしておきましょう、という話になります。ただ、現在円満にファンとの交流が行なわれているブログについてまで、理事という権限ある人間のこうした発言によって機能がカットされてしまうというのも、それはそれでかえって反感を買うように思います。しかし、組織人である以上それくらいは仕方ないのかもしれません。どうせ私は棋士のブログのコメント欄はほとんど見ないのでカットするのもありだと思います。思いますが、こうした流れでカットされるとしたらちょっとだけ残念に思いますが、しかしその程度のことです。ブログを続けてもらえさえすれば個人的には十分です。 
 批評・批判=誹謗中傷と短絡的に結び付けられてしまうのも表現の自由を尊重する立場からは極めて困った問題です。両者の線引きが極めて困難なのは確かですが、コメントの発言を棋士に背負わせてしまってはそりゃ憂鬱にもなるでしょう。最初は何が問題なのか分からなくても、後のコメントによる指摘・議論によって問題性が認識可能になるということもあり得るでしょう。削除せずとも反論によって解決できることだってあるでしょう。原則公表・例外削除のスタンスの方がいろいろ考えると簡単なように個人的には思います。辺境ブログの一管理人のたわ言に過ぎないかもしれませんが。
 掲示板・コメント機能カットとの比較で、タイトル戦の応援掲示板への書き込みの大半が目を通されているものだということが理由として挙げられています。私は応援掲示板を利用しようと思ったことは一度もないのですが、軽く目を通すくらいはします。だから応援掲示板のコメントはつまらないし盛り上がりに欠けてるんだな、と納得できました。ま、実際に盛り上がりたければ某大型掲示板を利用するのが一番ですけどね(笑)。