『密室殺人ゲーム王手飛車取り』(歌野晶午/講談社ノベルス)

密室殺人ゲーム王手飛車取り (講談社ノベルス)

密室殺人ゲーム王手飛車取り (講談社ノベルス)

 タイトルこそ『王手飛車取り』となっていますが、実のところ将棋とはほとんど関係ありません。ですので、生粋の将棋ファンが手に取ると痛い目を見るかもしれません。私みたいなミステリも将棋もどっちも好きな人間ならノーダメージですけどね(笑)。
(以下、基本的には将棋用語・王手飛車取りについてダラダラと語ってるだけですが、一部伏字でネタバレしています。未読の方はご注意を。)
 本書において、将棋に関連する言葉は3つしか出てきません。
 一つは、高飛車(p30)です。ただの慣用句です(笑)。しかし、その由来が将棋であることは間違いありません。高い位置にある飛車は、高圧的ではありますが狙われやすいので良くない、てなことから転じた言葉です。しかし、慣用句としてはともかく、将棋用語としては高飛車という言葉はスッカリ死語になってしまってます。というのも、中座五段の開発した新戦法・横歩取り8五飛車戦法というのがあるのですが、この戦法、まさに高飛車が大活躍する戦法なのです。高飛車=悪い位置という既成概念がこの戦法によって覆されてしまったことで、高飛車という言葉がとても使いにくくなってしまったのです(笑)。とは言え、高い位置にある飛車が狙われやすくて危なっかしい側面があることには変わりありません。相掛かりにおいて浮き飛車が減って引き飛車が増加したのは、やはり浮き飛車を狙われることによる反撃がキツイからという理由があるからでしょう。……ちょっと専門的になってしまったので次に移りましょう(苦笑)。
 二つ目は、感想戦(p94)です。局後に行なう対局者同士によるその一局の検討のことです。厳密な意味での将棋用語かは自信がありません。他の対戦型ゲームでも感想戦はできますからね。しかし、NHKテレビの将棋トーナメントと囲碁トーナメントを比べてみると分かるのですが、対局後に、将棋は”感想戦”と言うのに対し、囲碁では”検討”と言ってます。この辺り、一局の疑問点・分岐点の検討作業という点は共通なのですが、感想戦は”戦”の文字通りに容赦なく言いたいことを言い合って真理を追求するのに対し、検討の方は負けた対戦相手に配慮して、もしこう打たれてたら結果は逆になってたかも? みたいなニュアンスの違いを、個人的には何となく持ってます。
 三つ目は、「密室とアリバイはトリック界の飛車と角」(p271)というセリフです。言いたいことは分からなくもないですが、私のイメージとはちょっとずれてます。私だったら、「密室とアリバイはトリック界の矢倉と四間飛車」と戦形・戦法で表現しますね。どちらも将棋における一般的なテーマであるという意味でミステリにおけるトリックと共通していると思うので。そう言えば、「矢倉は将棋の純文学」(by米長邦雄)などという言葉もありますね。もっとも、そんな戦法を例に挙げたって将棋に詳しくない方には分かりっこないでしょうから、飛車と角という二つの大駒による表現で妥協したのかも知れませんけどね。
 てなわけで、将棋は本書の内容と直接には無関係です。知的ゲームとしての共通点、例えば新しいトリックを喜々として発表している姿は新手・新定跡について語っている棋士の姿とだぶります。それに、推理についてあーでもないこーでもないと言い合ってる探偵たちの様子も、最善手を模索している棋士たちの研究会の様子とだぶります。しかしそれはおよそゲームである以上特別なものだとは言えないでしょう。だったらなぜ『王手飛車取り』なんて言葉がくっついてるんだ? という疑問はつきまとうわけですが、そこの辺りを無駄にこだわって検証してみたいと思います。
 そもそも、王手飛車取りとは何でしょう? 将棋の指し手の中で、王手でもあり飛車取りでもある、両取りの手のことを言います。将棋において王様は取られたら負け、つまり絶対に取られたらダメな駒ですし、また、飛車は攻守に圧倒的な存在感を持つ大事な大駒です。その両取りですから、実戦でこの手を喰らったらまずお仕舞いです。どんなに優勢に局面を進めていたとしても、王手飛車の一発で局面がひっくり返ってしまうこともざらです。
 そんな大技むざむざう喰らうわけねーだろ、って思われるかもしれません。しかし、実は狙い筋として実戦でも結構頻繁に登場します。プロレベルになると『王手飛車取りはかけた方が負け』なんて言われたりします。プロなら読み切ってるに決まってる、という意味ですけど、何かの統計で見たことがありますが、王手飛車を喰らうとプロでも負ける確率の方が高かったはずです。やはり王手飛車は致命的なのです。ですから、”決め技”みたいな意味合いが本書のタイトルにはあると思います。
 あと単純に、将棋というボードゲーム用語をタイトルにくっつけることで、本書の内容のゲーム性を強調したかったという側面は間違いなくあるでしょうね。いやはや、相当不謹慎な内容ですからね(笑)。
 とは言え、その心はやはり将棋の格言にもある通り、「ヘボ将棋 王より飛車を 可愛がり」でしょう。将棋というゲームにおいて、確かに飛車は強力な駒です。攻撃を組み立てる場合において必ず中心になる駒ですし、その働きはまさに一局の命運を左右します。ですから絶対に取られてはならない駒だと思い込みがちですが、しかし、本当に取られてはいけない駒は飛車ではなくて王(玉)です。当たり前ですが、取られたら即負けなのですから。そこのところの価値判断を逆転させてしまうと、王手飛車取りという落とし穴が待っているわけです。そんな価値観の転倒・倒錯は、本書の5人の探偵(犯人)役全員に言えると思います。
 あと一つ、ここから先は完全にネタバレですので念のため伏字にします。(ココから→)頭狂人は自らの思いついた斬新なトリックを実現するために兄を殺しますが、それが実は〈044APD〉だったわけで、これは立派な両取りですよね(笑)。(←ココまで)
 こう考えてみると、内容的には将棋はほとんど関係ないにもかかわらず、王手飛車取りというのは非常に良いネーミングだと思いますね。将棋から離れて本格ミステリとして本書を評価しても、とてもクオリティが高いと思います。ってか、個人的にというかある程度ミステリに詳しい方なら同じことを思っちゃう人もおそらくいるかと思うのですが、一問目の出題を受けて頭狂人が現場の視察に赴きます。その様子がまるで某有名ミステリを彷彿とさせてしまい、それがラスト近くのトリックのネタバレにつながってしまうのが玉に瑕です。ちょっともったいないと思いました。
 某有名ミステリとは何か?をもったいぶるつもりはない(ヒント:『本格ミステリ2007 1996-2005オールベストランキング』の10位内に入ってます。また、私の書評リストの中にもあります)のですが、それを言っちゃうと本書と某ミステリ両方のネタバレになってしまうのが困ったところです。まさに”王手飛車取り”ですね。お後がよろしいようで(笑)。

【関連】
三軒茶屋別館 フジモリのプチ書評『密室殺人ゲーム王手飛車取り』書評の続きと言うか感想戦です(笑)。是非ご覧下さい。
『密室殺人ゲーム2.0』(歌野晶午/講談社ノベルス) - 三軒茶屋 別館
【追記】渡辺明ブログ 囲碁と将棋

将棋は感想戦を2時間やることも珍しくありませんが囲碁はタイトル戦でも10分程度なんだとか。

 私は囲碁には明るくないので良く分かりませんが、10分というのは短いと思います。かなり意外でした。