『八月の魔法使い』(石持浅海/光文社文庫)

八月の魔法使い (光文社文庫)

八月の魔法使い (光文社文庫)

「毛色の変わったものをたくさん書いているせいか、出来上がった作品はどれも愛着があります。その中でも、兼業作家ならではの”会社員小説”である『八月の魔法使い』は、面白いかどうか評価は割れるんでしょうけれど、おそらく最も石持浅海が書きそうな話です」
石持浅海ロング・インタビュー「勤勉なる十年の収穫」」ジャーロ No.45 p35より

 8月15日。世間ではお盆であり多くの企業が夏季休業になっている。洗剤メーカー・オニセンもまた例外ではなく、取引先の会社や従業員のほとんどが夏季休暇をとっているため、会社に残っている社員にとっては気楽な一日である。経営管理部員の小林拓真もそんな緩んだ一日を楽しむつもりでいたが、しかし、仕事で立ち寄った総務部で思いもよらない情報を目にする。それは、拓真の知らない「工場事故報告書」だった。さらに、拓真の恋人である深雪が出席している役員会議でも同じ報告書が提示される。報告書の信憑性を巡る議論と役員同士の熾烈な争いによって紛糾する会議。気楽な一日であるはずの日に起きた、会社の命運を左右することになる決定的な事件。そんな大きな出来事に、拓真もまた巻き込まれることになる……といったお話です。
 8月15日という日に起きた会社を揺るがす事件。法学を学んだことのある方であれば八月革命説(八月革命説 - Wikipedia)を想起されるかもしれませんが、本書の舞台であるオニセンにとってみれば、まさに革命的な一日です。
 役員会議の中、突如提示された工場事故報告書。生産部門のトップである生産系の常務すら知らない(と言う)報告書。通常のルートを通らずに作成されたと思われる事故報告書は、生産系の社員にしてみれば怪文書に等しき文書である一方で、生産部門と対立する営業部門の社員からすれば生産系が事故の隠蔽を図っているようにも見えるわけで、そんな生産部門と営業部門の対立が、そのまま役員たちの次期社長・副社長をめぐる権力闘争と相俟って、丁々発止の議論を巻き起こします。直接的な言動で相手を追い落とそうとする者もあれば、守勢に立たざるを得ない者もいて、さらには先の先を読んでこの場は他の者に譲ってみたり、つい感情的になってしまい墓穴を掘ってしまう者もいたりと。”存在してはいけない文書”によって役員会議は修羅場と化します。
 はたして事故は本当にあったのか、なかったのか。あったとすれば、それはどのような事故で、何ゆえ正規のルートで上げられてこなかったのか。なかったとすれば、それではいったい何の目的で作られたのか。いずれにしても、誰の手によって作られたものなのか。図らずも、そんな厄介な事故報告書に端を発する社内のトラブルに巻き込まれた拓真は、そんな”存在してはいけない文書”の謎と、その謎に深く関わっていると思われる昼行灯の切れ者社員・松本係長と対峙することになります。
 そこで重要になるのが、会社の論理であり常識です。拓真にとって、会社は生きる糧です。明日も明後日も会社で働いて給料を稼ぐことによって拓真の生活は成り立っています。ゆえに、議論の途中で相手の過失や落ち度を見つけたとしても、不用意にそれを叩くことは、たとえその場の議論での勝利につながったとしても、明日以降の会社内での立場に悪影響をもたらすことになります。あくまで自身とそして恋人との社内での立場を守りつつ、その上で、会社の利益になるよう如何に行動すべきかが問われることになります。派手でアクロバティックな論証よりも、自制の利いたストイックな論証こそが大切です。それを実証するかのように、自制の利かなかった者が脱落していく展開には、ある種のサスペンス的な読み応えがあります。論理を組み立てる際に求められるストイックさはミステリとしては地味なものであることは否めませんが、その組み立てに失敗したものは脱落するというスリルと相俟って、結果として良質なサスペンス性を生み出すことに成功したといえるでしょう。
 単に真相を推理するだけでなく、その推理が事件の黒幕ともいえる松本係長との緊張感に満ちた対話の中から、相手の仕掛けた罠を巧みに回避しつつ、言葉を選び論理を選びながら少しずつ真相を手繰り寄せていくライブ感も本書の読みどころです。著者ならではのサラリーマン・ミステリです。オススメです。

ジャーロ No.45 (光文社ブックス 101)

ジャーロ No.45 (光文社ブックス 101)