『エラスムスの迷宮』(C・L・アンダースン/ハヤカワ文庫)

エラスムスの迷宮 (ハヤカワ文庫SF)

エラスムスの迷宮 (ハヤカワ文庫SF)

「平和こそわが任務。わたしは平和を見まもり、平和をひろげゆくために召集された。わが手が死をもたらせば、終わりなき戦いがはじまるやもしれぬことを常に念頭に置くべし。命を生むは平和のみ。平和を生むは命のみ」
(本書p94より)

 2010年フィリップ・K・ディック賞受賞作品。
 原題は『BITTER ANGELS』なのに邦題は『エラスムスの迷宮』とは随分と大胆な訳し方をしたものだと思います。エラスムスという星系が物語の主要舞台なので、読めばそれほど無茶な訳とは思いませんが、これだとエラスムスという単語にどれほど重要な意味が込められているのか気になるのですが、ググってもいまいちピンとこないので困惑してしまいます。ちなみに、訳者あとがきによれば、『大いなる復活のとき』などの作者サラ・デッゼルの別名義とのことです。
 本書のオビにて2009年同賞受賞作品である『シリンダー世界111』(アダム=トロイ・カストロ/ハヤカワ文庫)が紹介されていますが、ミステリ仕立てのストーリー展開といい世界観といい、確かに相通じるものが感じられます(もっとも、『シリンダー世界111』はSFミステリといえるくらいミステリ度が高いものですが、本書のミステリ度はそんなに高くはないのであしからず)。
 といいますか、本書といい『シリンダー世界111』といい、有能な若者が借金を盾に人生を縛られるという設定が共通しているのはいったい何なのでしょう。もしかしたら、奨学金や学資のローン返済が大きな問題になっているのかな?と思わされます。また、本書のストーリーの本筋自体が「憎しみの連鎖を断ち切る」という9.11を意識せざるを得ないものですし、さらに一握りの金持ち(=ファミリー)がその他大勢からの搾取によって成り立っている世界とか、社会性が強い内容となっています。SF=社会(Syakai)風刺(Fuusi)かと思うくらいです(苦笑)。とはいえ、フィリップ・K・ディックといえば権力への不信・権力によって生み出される虚構というものを執拗に描いてきた作家です。そういう意味では、本書は同賞の趣旨に沿った作品であるとはいえます。
 本書はテレーズとアメランドの二人の視点を基本に、ときどき他の人物の視点が混ざるという三人称複数視点描写が採用されています。この描写は、どちらかといえば物事を多面的に語るためというよりも単元視点では語りきれない箇所を補うために機能しています。つまり、複雑な事件を複雑なまま語るためのものです。本書が602ページという大ボリュームになっているのはそのためです。
 本書の主人公であるテレーズは野戦指揮官という身分ですが、その名称から想像されるように野戦を指揮するわけではなくて、実際には平和を維持するための外交官にして工作員といった役割です。しかも、相手を殺害することは固く禁じられています。戦争勃発の危険性が高い地域(ホット・スポット)に赴いて騒乱の芽あらかじめ摘んで平和を維持する。それが彼女達の役割です。平和を維持するために陰日向で行われている権謀術数の数々が本書では描かれています。とはいえ、平和とはいったい何なのか。戦争とはいったい何なのか。人権の徹底的な破壊と否定が戦争であるならば、一見すると平和と思える状況でも、実は戦争状態にあるということはあり得ます。
 9.11を引き合いに出すまでもなく、一個人の思想や信条といったものが戦乱の発端となったり大きな影響を与えたりすることは往々にしてあります。星系というスケールから個人の内面へと焦点が絞られていく展開は、そういう意味では妥当だと思います。ただ、それによって物語がスケールダウンしてしまっている感は否めません。加えて、本書はお世辞にも読みやすいとはいえません。個人的には、SF=社会(Syakai)風刺(Fuusi)として読めばそんなに嫌いではありませんが……。