『チャイナ・レイク』(メグ・ガーディナー/ハヤカワ文庫)

チャイナ・レイク (ハヤカワ・ミステリ文庫)

チャイナ・レイク (ハヤカワ・ミステリ文庫)

オウム真理教は東京の地下鉄にサリンをばら撒いて攻撃した。オレゴンではラジニーシーがレストランのサラダバーにサルモネラ菌をばら撒いて七百五十人以上の人が食中毒を発症した。おまえの考えはおかしくなんかないぞ」
(本書p415より)

 2009年度エドガー賞(参考:アメリカ探偵作家クラブ - Wikipedia)受賞作です。
 主人公のエヴァン・ディレイニーは弁護士にしてSF作家というチートな女性ですが(笑)、そんな彼女が対峙することになるのは〈レムナント〉という狂信的な終末思想を唱える新興カルト教団です。
 日本においてカルト教団といえば、何といっても思い起こすは松本サリン事件(参考:松本サリン事件 - Wikipedia)や地下鉄サリン事件(参考:地下鉄サリン事件 - Wikipedia)を始めとする数々の凶悪犯罪・反社会活動を行なったオウム真理教です。特異な思想に基づく集団の強固な結束と部外者の排斥、マインドコントロールによる信者の獲得、内部での熾烈な権力闘争、法秩序を顧みない外部への過激な活動などなど。とにかく様々な問題を引き起こした教団なのですが、世界的には生物化学兵器を用いたテロを最初に行なった教団として知られています。
 しかしながら、新興カルト教団の本場といえば何といってもアメリカでしょう。本書内でもヘヴンズ・ゲートやウェイコ事件などの実際にあった事件が引き合いに出されることでその脅威が強調されていきます。
 日本人というのは基本的に無神論者が多いといいますかそれほど宗教に熱心ではないお国柄ですので、なんかおかしな神の教えを説いているカルト教団があるなぁと思ったら「神なんているわけねーだろ」の一言で否定してしまえばそれで済みます。ところが、アメリカなんかですとそういうわけにはいきません。なので、「神なんているわけねーだろ」という言葉はそのまま自身へと跳ね返ってきます。そこが厄介な点です。主人公のエヴァンはSF作家としての側面も持っていますが、彼女はSFというものをまったく新しい世界を想像するためのものとして考えています。それはきっと”神”から離れて物事を考えるための道具なのでしょう。
 とはいえ、本書はそんな観念的なカルト教団の難しさよりも現実的な脅威との戦いの方に重点が置かれています。生物化学兵器を使ったテロ活動もそうですが、そもそもはエヴァンの兄ブライアンの一人息子ルークが、〈レムナント〉に入信したブライアンの元妻に身柄を狙われているというトラブルが発端です。カルト教団に身内が物理的にしろ精神的にしろ囚われてしまいますと、それを取り返すのは非常に困難です。しかも相手は手段を選びません。もっとも、本書の場合にはいくらなんでも事件を担当する警官が無能すぎて、余計なお世話ながらアメリカの治安が心配になってくるのですが(笑)、それを差し引いても厄介な相手です。一方のエヴァンは弁護士ですから、手段を選ばない相手に対して自らも手段を選ばずに対抗するというわけにはなかなかいきません。
 カルト教団との対決だけでなく、エヴァンと兄ブライアンや恋人のジェシー(男性です)といった家族や恋人との間の問題も絡んできて、しかも結構ネチネチと語られるのですが、それらがサスペンスに満ちた展開の中で鮮やかに収束していきます。
 もっとも、本書はエヴァンの一人称で描かれているにもかかわらず、作中の描写ではエヴァンの視点からは分かるはずもない場面の様子が語られてることがときどきあります。すなわち、一人称なのに三人称の視点からの描写がなされているという荒技が用いられているのです。さらにストーリーも、最後は結局アクション活劇になるのかというハリウッドみたいなシーンが繰り広げられて、これまた力技だなぁと思わずにはいられなくて、つまるところ強引なところもある作品なのですが、それらを差し引いても面白かったです。
 シリーズ作品としてすでに2作目3作目も翻訳されて刊行されていますので*1、これからも追っかけて読んでいきたいと思います。

*1:『裏切りの峡谷』と『暗闇の岬』。ともに集英社文庫からです。