西尾維新が真っ向から「ジョジョ」に挑む 『JOJO'S BIZARRE ADVENTURE OVER HEAVEN』

OVER HEAVEN JOJO'S BIZARRE ADVENTURE

OVER HEAVEN JOJO'S BIZARRE ADVENTURE

 上遠野浩平西尾維新舞城王太郎といった気鋭の作家たちが「ジョジョ」を小説化するプロジェクト、「vsJOJO」。上遠野浩平『恥知らずのパープルヘイズ』に続き、西尾維新が「JOJO」に”真っ向から”立ち向かいました。
 ”真っ向から”とあえて書いたのは、以前荒木飛呂彦と対談したときに西尾維新はこう言っていたからです。

−−もし西尾さんが『ジョジョ』をノベライズするんだったら、どこをどんな感じでやりたいですか。
西尾 第2部の話、あるいは第1部の話を。吸血鬼や完全生物が敵。
荒木 バイオレンスじゃない。
西尾 あえてスタンドを使わない。多分それだったら、乙一先生とかぶらないでしょう(笑)。
荒木 乙一さんとかぶらないから?
西尾 何にせよ、誰かとかぶらないというのはぼくにとって大事なところですから。この場合、かぶったら乙一先生と「勝負」になるでしょ。負けたらどうするんですか。勝ったほうがより『ジョジョ』ファンみたいなランク付けがされたらたまらない。
−−作家としてじゃなく、ファンとして負けるのが許せない?
西尾 「あなた、『ジョジョ』ファンとか言っといて、その程度のものしか書けなかったの?」とか言われて、「ちょっと愛情が足りないんじゃないの」とか、みんなから馬鹿にされる(笑)。だからこうちょっと、「いや、ぼくは第1部が一番好きなんだよね」的な、通ぶったセリフ用意しておくんです(笑)。
(宝島社『西尾維新クロニクル』P90)

 しかしながら西尾維新の「vsJOJO」、主人公はDIO、しかも舞台は第3部と直球もド直球。まさに、本作は西尾維新が「全力で」JOJOを小説化した作品でした。
 本書は、第6部で登場した「承太郎が燃やしたDIOの手記」を復元したというテイで書かれています。ホワイトスネイクに記憶を抜かれた承太郎のためにスピードワゴン財団から頼まれた、という前書きです。そういう意味で厳密に言えば、この作品は作中世界でいうと「第6部」ということになります。第6部の重要キーワードである「天国に行く方法」を記したDIOの手記。作品タイトル『OVER HEAVEN』はここから採られています。
 本編(手記)の舞台は、第3部。ジョセフ・ジョースター空条承太郎たちがエジプトにいるDIOを倒しにいく「スターダスト・クルセイダース」をDIOの視点から描いています。
 また同時に、DIOによるジョナサン・ジョースターとの因縁も書かれ、作内では第1部と第3部を並行でDIOが回想する、というのが物語の軸となっています。
 ここまで書くと「なんだ、第1部と第3部の敵側サイドから振り返った総集編みたいなものか」と早とちりする人もいるかもしれません。
 確かに、この『OVER HEAVEN』は他の西尾維新作品とはまったく異なります。
 ミステリ小説という「ジャンル」を逆手に取りそのキャラだけで短編小説が何編もかけそうな個性豊かなキャラを次々と使い捨てていく「戯言シリーズ」、一方でミステリ小説という「フォーマット」を逆手に取ったどこか歪んだ本格ミステリ「世界」シリーズ、会話劇というあえて映像化しづらい手法で「憑物落とし」をオマージュしたキャラ小説「化物語」シリーズ、そして「週刊少年ジャンプ」という戦場でジャンプをメタにネタにしながらも「邪道な王道」でバトルマンガを描く『めだかBOX』原作と、西尾維新は言葉遊びとメタをその過剰なサービス精神で「奇妙な」味に仕立て上げるというのが作風の特徴であると思っています。
 しかしながらこの『OVER HEAVEN』は、その「西尾維新らしさ」を封印。西尾維新なりのDIOと「ジョジョの奇妙な冒険」を描きました。
 ジョセフたちの襲来に対し刺客を差し向けるDIO。その手記の中で、第1部、第3部、そして第6部のさまざまな「謎」、変に言い換えると「ツッコミどころ」に対し、西尾維新なりの解釈を次々と放り込んでいきます。
 「肉の芽を埋めるとスタンド能力が弱くなる。だから花京院やポルナレフは承太郎の仲間になったとたんに強くなった」とか、「エンヤ婆に肉の芽を埋めた理由」とか、ある意味「シャーロキアン」を思わせます。

シャーロック・ホームズを実在の人物と見なし、『シャーロック・ホームズ』シリーズを正典または聖典と呼んで、各種の研究を行う。これはキリスト教における聖書研究を意識的にパロディ化した行動様式である。
(中略)
おそらくはドイルのミスによって発生した矛盾(『唇のねじれた男』で、ワトスン夫人がなぜか夫を「ジェームス」と呼んだ事など、ちなみにドイルはあえて訂正しなかった)を合理的に解釈する試みも行われている。ここでは「いかに斬新な新解釈を打ち出すか」「いかに自説が正しいと巧みにこじつけるか」が求められる。まじめ一辺倒の研究は敬遠される傾向があり、発想の柔軟さと屁理屈とユーモアが求められる一種の知的パズルである。決して実際の文学研究と同一視してはならない。あくまでそのスタイルを借りて遊んでいるだけである。
wikipediaより)

 ジョジョファンであればあるほど、「なるほど、こういう解釈もあるのか」と「西尾維新なりの解釈」に感心、あるいは「いや、オレはこう思うなー」と反発を抱くことでしょう。
 この「解釈」は作中のイベントだけではなく、DIOという人物についても切り込みます。
 思えば、DIOの歴史は敗北の歴史でした。ジョナサンに敗北し、承太郎に敗北する。
 一度として勝つことのないその運命は、西尾維新原作の『めだかBOX』に登場する人気キャラ、球磨川禊に反映されているといったら穿った見方でしょうか。
 今でこそ悪のカリスマとして人気であるDIOですが、彼の視点から見ると「刺客を次々に送り込むがことごとく返り討ちにあう悪の組織のボス」というやや「かっこ悪い」ポジションであり、また第1部では意外と「小物な悪キャラ」してたと思います。
 そんなDIOをしっかりと掘り下げ、彼の内面に迫る本作は、第1部や第3部を新たな視点で描くと同時に、第6部という「異質な」内容を、見事鮮やかに「ジョジョ」の系譜につなげることに成功したと思います。
 実際、読了後にフジモリが真っ先に読み返したのは他でもない、第6部でした。
 「らしくない」のが「らしさ」。賛否両論を覚悟で放った本作『OVER HEAVEN』は、まさに原作に忠実ではなく「誠実な」ジョジョのノベライズだと言えるでしょう。大満足の一冊でした。
 そして「vsJOJO」のトリを飾るのは、かの怪作『九十九十九』という、「時速150kmの変化球」なトリビュート小説を書いた舞城王太郎
 彼がどのように「JOJO」に挑むか、怖いながらも楽しみです。
【ご参考】"荒木飛呂彦+上遠野浩平"という奇妙「じゃない」方程式 『恥知らずのパープルヘイズ』