『山魔の如き嗤うもの』(三津田信三/講談社文庫)

山魔の如き嗤うもの (講談社文庫)

山魔の如き嗤うもの (講談社文庫)

「この世の全ての出来事を人間の理知だけで解釈できると断じるのは、人としての驕りである。かといって安易に不可解な現象そのものを受け入れてしまうのは、人として余りにも情けない」
(本書p149より)

 刀城言耶の元に送られてきた原稿「忌み山の一夜」。そこには山村の風習「成人参り」の際の奇妙な体験談が綴られていた。正体不明の怪異”山魔”、一軒家からの奇怪な人間消失。怪奇体験により精神が不安定な状態にある執筆者の助けになると考えた言耶は山村に趣き詳しく事情を調べることにするが、それが陰惨な連続殺人事件の幕開けとなった……といったお話です。
 本書はまず100頁以上の原稿「忌み山の一夜」を読むところから始まります。いわば作中作ということになりますが、メタな趣向を得意とする著者の作品の傾向からすればむしろ真っ当な構成だといえるでしょう。そんな「忌み山の一夜」ですが、タイトルからして管絃楽曲『禿山の一夜』を想起せずにはいられません。とはいえ、私はクラシックにはとんと疎いので想起するだけなのですが(苦笑)、ネットで調べると、

原型はメグデンの戯曲『魔女』に基づき構想された歌劇『禿山』である。1860年頃に作曲したピアノ曲『聖ヨハネ祭前夜の禿山』で「聖ヨハネ祭の前夜に不思議な出来事が起こる」というヨーロッパの言い伝えの一種、「聖ヨハネ祭前夜、禿山に地霊チェルノボグが現れ手下の魔物や幽霊、精霊達と大騒ぎするが、夜明けとともに消え去っていく」とのロシアの民話を元に作られている。
禿山の一夜 - Wikipediaより)

というように、「忌み山の一夜」を思わせる民話が元になってるらしいです。なので、おそらく『禿山の一夜』が本書のモチーフだと思います。興味のある方は『禿山の一夜』(禿山)について調べた上で「忌み山の一夜」と比較してみるといろいろ面白いかもしれません。
 殺人事件は六地蔵にまつわる奇妙な歌に基づいて発生します。つまり見立て殺人ですが、この見立ての元となる歌が、子どもが歌う歌として(その裏に隠された意味も含めて)、とてもよくできています。奇怪な連続殺人に恐怖と緊迫感を演出する上でとても有効に機能しています。
 謎が謎を呼び論点がいくつも派生する難解な事件に対して、いったいどのような推理によって真相が導かれるのか読んでてさっぱりでしたが、一点からスルスルと謎が解き明かされていく過程は見事なものです。登場人物が多すぎて人間関係を把握するのがなかなか難儀した分、真相を飲み込むのにも時間がかかり、結果として衝撃も軽減してしまいましたが(汗)、高難度の荒業を巧みに成立させた逸品だといえます。

 なぜ呼山が忌まれるのか、その理由は殆ど分かっていない。「呼」とは呼び掛けの言葉であり、山中で誰かに呼ばれても絶対に返事をしてはいけない、という伝承があるくらいだ。なぜならそれは山魔(やまんま)という化物の為、応えてしまうと物凄い嘲笑を浴びせられるからだという。
(本書p46より)

 「山彦」を思わせる山魔という怪奇。それはいわば声の影だともいえますし、自らの心の影のようでもあります。ミステリではアリバイ(現場不在証明)という単語がよく使われますが、「不在の在」について考えさせられる作品でもあります。ホラーとミステリの融合にこだわる著者らしい作品です。