『新ナポレオン奇譚』(G・K・チェスタトン/ちくま文庫)

新ナポレオン奇譚 (ちくま文庫)

新ナポレオン奇譚 (ちくま文庫)

「歴史上の国家の半数は、長男の長男を選ぶという運まかせなことをやってきたのではないでしょうか。そして、そのうち半数くらいがまあまあの首尾でつづいていたのではありませんか。完璧な制度をつくることは不可能、しかしまたなんらかの制度は不可欠です。すべての世襲君主制は偶然の産物です。アルファベット順の君主制も同じことなのです。スチュアート家とハノーバー家とのあいだの違いに、なにか深い哲学的意味を見出すことができますか。実のところ私は、A王家の暗い悲劇と、B王家の確固たる繁栄という対照に深い哲学的意味を見出そうというわけです」
(本書p44より)

 ブラウン神父シリーズや『木曜日だった男』などで知られるチェスタトンのデビュー長編小説です。
 1904年に発表された作品で1984年のロンドンが舞台のお話ではありますが、

この物語の幕があいたとき、すなわち今から八十年後、ロンドンは、ほとんど現在とそっくりそのままのロンドンである。
(本書p19より)

とあるように、予言的過去時制で描かれています。つまり本書は特に未来を描こうとしたお話ではなくて、いくら年月を経ても変わらないであろう人間の普遍的な性質というものを描こうとしたお話であるといえます。
 本書のロンドンは民主主義が採用されてなくて、事実上君主制が採用されています。ただし世襲制ではありません。官僚の中から適当に(裏表紙の言葉によれば、籤引き。作中の表現によれば事務的な交替表(本書p43参照))選ばれた人物が国王を務めるという制度が採用されています。まあ、確かに日本にも「籤引き将軍」といわれる足利義教(参考:足利義教 - Wikipedia)という例があったり、あるいは『くじびきアンバランス』というお話もありますが、それにしてもにんともかんともなシステムです(苦笑)。
 今の時代、民主主義という制度が世界的に奨励されつつありますが、その制度的な意義としては、実のところ積極的側面よりもアンチ君主制という消極的側面もかなりあったりします。つまり、君主制が駄目だから民主主義というわけです。確かに、作中でも述べられてますが民主主義であっても君主制のような「強いリーダー」を望む声はどうしても生まれてきます。そうなると、結局は両者の違いはリーダーの選び方の違いだと言い切ってしまうのもあながち暴論とはいえなくて、世襲制は遺伝的疾患などの可能性を回避するために廃棄。で、民主制は愚かな万民の中から代表を選出する制度である。であるならば、他の者と大差ない中から適当に国王を選んで何が悪い、というわけです。何とも短絡的な主張ではありますが、正直これだけならあまり反論する気にはなれないのも確かです。
 ただ、君主制の何が一番問題かといえば、その選出方法ではなく、一人の人間の恣意によって国政が左右されるということにあると思うのです。となりますと、一度ランダムに選ばれた後は10年も20年も国王でいられるというのでは、結局のところ世襲制君主制とそんなに違いはないと思うのです。この制度を採用するのであれば、国王でいられる時期はもっと短期でなければならないでしょう。そうした意味で、本書の独特な制度が採用されるに至った理由付けは私には不満です。
 ただ、ときにシニカルでときにすっ呆けてときにユーモアに満ちた本気か冗談か判別のつかない語りがあれよあれよと謳われていくうちに、いつの間にやら殺し合いが描かれているというストーリーには戦慄を覚えずにはいられません。人間が殺しあうまでのシステムを絶妙な距離感で描いた作品としてとても面白いと思います。