『夜を買いましょう』(浅暮三文/集英社文庫)

 アメリカの貨幣には一文が添えられている。イン・ゴッド・ウイ・トラスト。我等の信ずる神にと。ある意味でドルは常に神と共にあるといえる。あるいは信じられるのはドルしかないといえるかもしれない。
(本書p353より)

 巻末の作者あとがき曰く、本書は、現代社会の基盤である経済について書かれた風刺小説です。SF小説の一手法とされるスペキュラティブ(speculative)・フィクション、つまりは思弁小説として描かれた作品ですが、確かに経済的な観点から社会を風刺した作品としてはいろいろと示唆に富んでいて面白いと思います。
 主人公の遠藤は製薬会社に勤務していましたがリストラ寸前。なんとかクビを免れるために新薬の原料になる怪しげなキノコをインドネシアの小島で発見してきますが、戻ってきたら会社は外資に買収されていた、居場所がなくなってしまった新藤はMBAを取得しているメイベルと共に新たにビジネスを始めることになるが……といったお話です。
 リストラからあれよあれよという間に起業するまでの流れは終身雇用制が崩壊した日本の現状を風刺してます(ただし、会社の設立については会社法が改正されてますのでご注意を)。遠藤が発見してきたキノコ=ワヤンによって生まれる最初の新薬が催淫薬だったりするのはエロパロを演出するためのご愛敬ではありますが、一方で資本主義と人間性の関係が本書のテーマでもあるので疎かにはできません。
 ワヤンの睡眠効果に着目してからは、ワヤンを証券にして睡眠本位制ともいうべき経済制度の構築が試みられますが、地球温暖化などの環境問題を背景とした二酸化炭素の排出制限によって生まれつつある炭素本位制とでもいうべき制度などと比較すると面白いと思います。また、ワヤンを流通するための手段として人材派遣会社を設立するという点も現実の人材派遣会社の問題を先取りしたかのような先見の明が感じられて面白いです。
 ただ、本来ならただの紙切れであるものに何らかの財産権を表章させたものが有価証券なのですが(有価証券 - Wikipedia)、そこに財産権のみならず睡眠効果という即物的な価値までも有するワヤン債券を新たに作って流通させるという発想自体はとても面白いと思うのです。思うのですが、実際にやったら薬事法などいろんな法律に引っかかるでしょうね(笑)。それに、結局のところ「よく効く睡眠薬(しかもちょっと危ないかも?)」に過ぎないワヤンに、そこまでの経済的な意義を見い出せるのか甚だ疑問なのも気になります。
 作者あとがきによれば、経済に対するアンチテーゼを語ろうとした、というのが本書の意図で、それが全面的に成功しているとは言い難いですし煮え切らなさも残りますが、試み自体は評価したいですし問題意識には共感できる点もありますし、そこそこオススメな一冊です。