『紙魚家崩壊 九つの謎』(北村薫/講談社文庫)
- 作者: 北村薫
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010/03/12
- メディア: 文庫
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本書には9つの短編(1編は評論)が収録されていますが、それはあたかもCDアルバムのごとくバラエティに富んだ一冊となっています。以下、短編ごとの雑感。
〈溶けていく〉 日常から非日常的な世界へと段階を踏みながらシフトしていく過程の描き方が実に巧みです。だからこそ切なくも恐ろしいです。
〈紙魚家崩壊〉と〈死と密室〉は、ともに両手が恋をしている女と探偵との事件簿です。両作ともにミステリをメタ的に描いたパロディ小説ではありますが、その笑いはシニカルというよりもコミカルにしてセンチメンタルです。〈紙魚家崩壊〉の冒頭で語られる『ミロのビーナスの不在の腕盗難事件』。腕が《ない》ことによって完璧だったビーナス像から奪われてしまった《ないということ》。このことは、かつて本格ミステリへの批判の典型であった「人間が書けてない」に対してのお洒落な反論と受け取ることができます。それは、すべてを物語に収めようとする試みに対しての結末にも通じます。書けないのか書かないのか。いずれにしてもミステリがどこか不完全な物語であることには間違いないのでしょうが、だからこそ描けるものがある、ということなのだと思います。
〈白い朝〉 昔話が今へと収束する物語の落し方が実に軽やか。多言するのは野暮というものでしょう。
〈サイコロ、コロコロ〉 十面ダイスの使い方、と聞いて真っ先に思い浮かぶのがTRPG「ワースブレイド」ですが何か?(笑)
〈おにぎり、ぎりぎり〉 机上の空論の面白さによって際立つ真実の面白さ。
〈蝶〉 バタフライ効果。予測不可能な未来。儚い因果。
〈俺の席〉 「夜にも奇妙な物語」。ミステリといわゆる”奇妙な味”というのは作家的にも読者的にも非常に相性がよいですが、論理的であることと奇妙であることというのは、ときに隣り合わせであるということなのだと思います。
〈新釈おとぎばなし〉
ミステリの世界には、いわゆる《童謡殺人もの》というジャンルがある。マザーグースや手まり唄の調べにのって、連続殺人が行われるというものだ。その魅力は、どこにあるか。童心と邪心の奇妙な交錯にある。
(本書p172より)
不条理で不合理で不公平なおとぎばなし。一見すると童心=おとぎばなし、邪心=ミステリと思われるかもしれません。しかし、おとぎばなしにはときに目を覆いたくなるような残酷な場面があったり、さらにそれが「教育的配慮」の名の下に歪められ変容させられます。そのとき、おとぎばなしとミステリの立場は逆転します。不条理を解き明かすために作られる論理。その論理によって浮かび上がる物語。物語が物語を呼ぶことで読者をさらに引き付け呼び寄せる。それはミステリの歴史でもあります。といった具合に、評論としては様々な示唆に富んでて面白かったです。ただ、肝心の(?)カチカチ山の新釈自体はそんなに面白くなかったのが少々残念でしたが(【関連】青空文庫:太宰治『お伽草紙』)。