『エンジン・サマー』(ジョン・クロウリー/扶桑社ミステリー)

エンジン・サマー (扶桑社ミステリー)

エンジン・サマー (扶桑社ミステリー)

 ぜんぶ話すなんて、どうすればできるんだろう? どうすればいい? なにかひとつでも話そうと思ったら、その前にまず、なにもかも話しておかなきゃいけないのに。どの物語も、もとから知ってる物語ぜんぶが下敷きになってるんだから。
(本書p91より)

 本書の語り手はてのひら系の少年〈しゃべる灯心草〉。母の名は〈ひとこと話す〉。父の名は〈七つの手〉。祖母の名は〈そう伝えられる〉。それぞれに英語名のルビが振られていて*1、呼び名としてはそちらが優先されるわけですが、こうした日本語とは異なるルビ表記が自然なものとして許されるのも、本書が「語られること」を前提とした物語、つまりは「物語ることを物語る物語」だからです。
 メタ物語の主人公である〈しゃべる灯心草〉。語り手である彼が聞き手である〈天使〉に語る独白風の物語。物語は幾重にも重なり合っています。
 真実の語り手としての定めを背負った〈しゃべる灯心草〉は、金棒曳きの〈絵の具の赤〉からたくさんの物語〈ファイリング・システム〉を聞かされます。それは〈古の時代〉の物語。〈天使〉と呼ばれている人類の機械文明が栄えていた頃のお話。そして聖人のお話。聖人の物語を聞くうちに、〈しゃべる灯心草〉は、物語を語る立場から、聖人のように物語として語られる立場にあこがれるようになります。そんな彼が幼少期に出会った運命の少女〈一日一度〉*2。彼女を思う気持ちと、真実の語り手を目指す志とが重なりあって、彼の世界は広がっていきます。
 重層的な語りによる物語の世界は、ページをめくるにつれ色彩豊かなものになります。世界のかたちが寓意的ながらも緻密に語られつつ、そのなかに淡くて切ない恋愛模様が織り込まれています。本書が『ハローサマー、グッドバイ』と並ぶ青春SF小説の傑作として名高く評価されているというのも納得です。SFファンはもとより、広く物語というものに興味のある方に対して強くオススメの一冊です。
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(以下、ネタバレ前提の与太話につき既読者限定で。)


 「物語ることを物語る物語」、つまりはメタ物語の場合、普通は物語に耽溺する読み手にとって充実した時間を与えてくれることが約束されています。ところが本書の場合には、これだけ濃密な物語世界が描かれているにもかかわらず、その結末においてどうしようもない喪失感が待ち受けています。
 こうした結末を迎えることを選んだ作者の意図として、おそらく本書にはアンチ・ドラッグSFの一面があるのではないかと考えられます。作中には「パン」をはじめ様々なドラッグが登場します。肉体を変容させる作用が、やがては意識へと及ぶことを示唆しています。さらに、真実の語り手の名の下に求められるリアリティもまた、ドラッグSFに見られがちな”新しいリアリティ”という欲求が強く反映しているように思います。
 生身の人間の体を借りて語られる〈灯心草〉の物語は、物理的な意味での語り手にとってはあたかもドラッグによる神秘体験を語っているようなものでしょう。そこには確かに今までに見ることのできなかった世界が広がっているのかも知れません。しかし、そこに未来はありません。
 現実と異世界とを往還する形式のファンタジーでは、元の世界へ戻ることが至上の命題として掲げられていて、読者は安心して物語の世界へと没入することができます。一方、本書はそうした優しさとは無縁ではありますが、でも道は示してくれています。
 本書のタイトルは『エンジン・サマー』。どんなに魅力的で美しく見える世界であっても、それはしょせん「機械の夏」にすぎなくて、人間は「人間の夏」を生きなくてはいけない。本書にはそんな想いが込められているのではないのか、というようなことを思ったりしました。

*1:例えば、〈しゃべる灯心草〉はラッシュ・ザット・スピークス。

*2:ワンス・ア・デイ。