「将棋の手はほとんどが悪手である」(羽生善治)
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- 発売日: 2010/03/03
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上記連載によれば、コンピュータが現時点で1秒間に読めるのは約140万局面、1分間と少しで約1億局面読めるということになりますが、しかし、将棋の1局面での合法手の平均は約80手。なので、手数が増えるにつれて80×80×80×……と増えていく計算になります。そうなると、10手先をまともに読むとしたら1073京7418兆2400局面。1秒に1億手読めたとしても約3400年*1かかる計算となります。こいつは大爆笑です。
どうしてこんなことになってしまうのかといえば、コンピュータは人間であれば明らかに無駄と切り捨てるような手であっても、合法手である以上は何か工夫をしない限りは読まないわけにはいかないからです。合法手を手当たり次第に読んでしまうコンピュータにとって「将棋は悪手の山」なわけです。そのため、コンピュータ将棋ソフトでは読む量を減らすための工夫=枝刈りが行なわれています。
上記連載において代表的な枝刈りとして真っ先に紹介されているのが「null-move pruning」という手法ですが、この枝刈りの考え方がとても面白いです。
山本 枝刈りは、将棋に限らずチェスやオセロでは共通の研究がされていて、様々な方法が考案されています。今回はその中から、特に将棋と相性のいい枝刈り、「null-move pruning」を紹介します。言葉の意味は、「パスを用いた枝刈り」というところでしょうか。
片上 パス?
山本 そうです。パスです。繰り返しになりますが、人間はある局面を見たときに妥当な指し手、そこそこいい手がパッと浮かびます。これが人間の読みの大きな特徴であり、また読みの量を減らす隠れたポイントでもありました。そして実はコンピュータも、ある局面で妥当な指し手がパッとわかれば、読みの量を減らすことができます。
null-move pruningは、そのためにパスを使う枝刈りです。パスは妥当な指し手の代表といっていいでしょう。
(中略)
山本 普通、人間は▲6一金や▲2六飛といった手を切り捨てて考えるので、パスが悪い手に見えてしまいます。しかし、コンピュータの視点からすると、パスは非常に都合のいい手なのです。なぜなら、具体的な手がわからなくても、いつでも指すことができて、しかも大抵の合法手よりは「いい手」になるのですから。
これを利用してコンピュータは読む量を減らし、より先まで読むことを可能にしています。
(「将棋世界」2010年4月号所収「コンピュータは七冠の夢を見るか?」p174〜175より)
つまり、パスよりも評価値の低い手は切り捨てて読まないことにする、というわけですが、なるほど上手いこと考えるなぁと感心させられました。また、最近の将棋ソフトは対戦相手としてのみならず、ある局面について形成判断の材料としても用いられることがありますが、そのとき、ソフトの読みにパスという手が表示されることがあって、「パスってなんだよ」と馬鹿にしてたわけですが(ホントすいません)、その意味と重要性が本連載を読んでよーく分かりました。いやいや、ホントに面白いです。
なお、本連載には他にも様々な枝刈りの手法の紹介や枝刈りの効能とリスク、「水平線効果」といったことについても書かれていますので、興味のある方は是非「将棋世界」を購読されることをオススメします。他にも付録も含めて面白い記事が満載ですので。
ちなみに、本連載の枝刈りについての文章を読んで思い出したのが、以前に読んだ羽生善治の次のようなインタビュー記事です。
――最近の羽生語録では、「将棋の手はほとんどが悪手である」という言葉が突出して目立ちます。そう気づいたのはいつごろですか。
羽生 正確には覚えていませんが、すくなくともプロになってからです。
――ここ10年くらいですか?
羽生 いやいや、もっと前です。
――昔から思っていて、そろそろ言ってもいいかなと思ったのが数年前、ということになりますか?
羽生 いや、みんなそう思っていると私は思っていましたけど。
――だれも聞いたことないから、みんなビックリしたんですよ。
羽生 あ、そうですか(笑)。でも、プロの人はなんとなく実感していると思いますよ。
――そうは思えません。プラスの手はある、それを実現すべきだ、という発想でやってきたはずで…。
羽生 いやいや。簡単な話なんですよ。一手ずつ駒を動かしていきますね。最初はなにもそろっていない形をしています。でも40手も指せば、王様もしっかり囲えるし、攻めの好形もできます。それはなにをしているかといえば、一番いい位置に駒を持っていこうとしているわけです。矢倉なら玉を8八に、金なら7八に持ってくる。それぐらい経つと、駒が全部いい位置に来ています。するとルール上は手が増えますけど、実際にはやる手が少なくなっています。玉は8八がいいし、7八の金を動かす手は全部悪手です。だんだん手がなくなっているでしょう。
適当に駒を進めて、なんの目的もなくただ動かしていれば、いくらでもいい手はありますよ。直していけばいいわけですから。でも、最初からちゃんと動かしていけば、だんだん選択肢が少なくなってきます。
(「将棋世界」2006年8月号所収「羽生善治、将棋の《今》を語る」p16〜17より)
また、『決断力』(羽生善治/角川oneテーマ21)では次のようなことが書かれています。
相手に手を渡す
指し手が見えない、つまり「これがよさそうだ」という手が一つも見えない場面も多い。そういうときは、どうするか?
将棋は、お互いに一手ずつ手を動かしていき、指していく。だから、自分が指した瞬間には自分の力は消えて、他力になってしまう。そうなったら、自分ではもうどうすることもできない。相手の選択に「自由にしてください」と身を委ねることになる。そこで、その他力を逆手にとる。つまり、できるだけ可能性を広げて、自分にとってマイナスにならないようにうまく相手に手を渡すのだ。
(『決断力』p37より)
こうした「手渡し」の技術は羽生名人の得意とするところですが、その背景にはやはり「指し手のほとんどが悪手である」という考え方があるものと思われます。好奇心旺盛な羽生名人のことですから、早くからコンピュータ将棋のこうした枝刈りの考え方に触れていたのかもしれませんし、あるいは、羽生名人の考え方が人間よりもコンピュータの考え方に近い(だとしても、これは逆ですね)のかもしれません。
まあ、実際には「手渡し」などそうそう真似できるはずもありません(トホホ)。しかし、ほとんどの手が悪手であるならば悪手を指してしまうのも当然なわけで、そういう意味でヘボアマ的には救われますし(笑)、逆に良い手が指せたときの喜びはひとしおというものですね。
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・知れば天国、知らねば地獄――「探索」虎の巻 - ITmedia エンタープライズ
・http://www.computer-shogi.org/blog/do_computers_dream_of_grand_slam_4/
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