『時間封鎖』(ロバート・チャールズ・ウィルスン/創元SF文庫)

時間封鎖〈上〉 (創元SF文庫)

時間封鎖〈上〉 (創元SF文庫)

時間封鎖〈下〉 (創元SF文庫)

時間封鎖〈下〉 (創元SF文庫)

 「双子の光」のきってもきれない関係を「エンタングルメント(もつれ合い)」という。エンタングルした二つの光子の状態は、片方の状態によってもう一方の状態が決まる。たとえ何万キロ離れていても、お互いの運命が影響し合う不思議な関係だ。このエンタングルメントが量子テレポーテーションを実現する鍵になる。
 エンタングルメントを理解するため、ここでは同時に生まれたふたつのエンタングルした電子を例に考えてみよう。
 ふたつの電子はそれぞれA(上向きスピン)あるいはB(下向きスピン)になる可能性がある。どちらかがAであれば、もう一方がBになる。しかし少なくとも片方を観測するまではどちらの状態かわからない。
 今、片方の電子を観測して状態がAだったとする。すると観測したその瞬間にもう一方の電子がBに決まる。どれだけ離れていても、片方を観測した瞬間に離れた相手の状態が決まるのだ。
http://www.nikon.co.jp/channel/light/chap04/sec02/index.htmより

 ある夜、空から星々が消え、月も消えた。翌朝、太陽は昇ったが、それは贋物だった……。地球は一瞬にして暗黒の界面に包まれ、しかも界面の内側・地球側の時間だけが1億分の1の速度になっていた。2006年ヒューゴー賞長編小説部門受賞作品です。
 時間的にも空間的にもスケールの大きな本書の設定は、SF読みであれば見過ごすことのできない壮大さを誇っています。スケールが大きいだけに事象の多面性も半端なものではありません。なので、SF的に様々な読み方を楽しむことができます。地球を界面で覆った存在である仮定体(仮定上での知性体)はいったい何ものなのか?何が目的なのか?といった読み方をすればファーストコンタクトものとなります。界面の内と外の時間差に着目すればタイムトラベルものとして読むことができます。内外の時間差によって生まれる太陽の崩壊による地球の滅亡を宣言された人類がいかにその運命に立ち向かい、もしくは受容するかという終末もの・ディストピアを描いた小説として読むことができます。あるいは、宗教と科学との関係に着目するのも面白いです。そして、それらのどの読み方を選んでも圧倒的な読み応えを堪能することができます。
 とはいえ、そうしたSF的アイデアや科学的物語もさることながら、本書において特に、そしてあえて注目したいのは、やはりそうしたSF的仕掛けを背景にして語られる人間同士の物語です。それは、SFとしての本書のスケールに比すれば細部といってもいいかもしれません。別の言い方をすれば卑近といってもよいでしょう。ですが、遠景と近景がきちんと描かれているからこそ、本書で描かれている物語にはとてつもない奥行きがあります。
 本書の原題は「Spin」です。本書に登場する人物たちの関係はもつれ合う電子の関係として幾重にも捉えることができます。つまり、「Spin」をそうした人間関係を描く上でのモチーフとしたことこそが、本書のSFとしての真価だといえるでしょう。ジェイスン・ロートンとダイアン・ロートンの双子。ジェイスンは人類を先頭に立って運命に抗い、それとは対照的にダイアンは宗教に救いを求めます。そして、本書の主人公であり語り手でもある双子の乳兄弟にも等しいタイラー・デュプリーは、友人としてジェイスンを助け続けます。一方でダイアンへの思慕の念を胸に秘めながら。幼い頃には惹かれあいながら、それでいて交わることなく幾多の年月を別々に過ごしながら、それでも互いにとって男と女という異性の関係で在り続けるというタイラーとダイアンの関係は、まさに「Spin」です。SF的科学論と人間ドラマの融合が本書では見事に成し遂げられています。そうした意味で、本書はSFでありながらSFというジャンルを超えた魅力を兼ね備えた物語だといえます。
 ちなみに、本作は3部作の第1作とのことです。これだけのスケールの物語がいったいどのような収束を見せるのか。続きがとても楽しみです。