『スリー・パインズ村と運命の女神』(ルイーズ・ペニー/ランダムハウス講談社文庫)

スリー・パインズ村と運命の女神 (ランダムハウス講談社文庫 ヘ 4-2)

スリー・パインズ村と運命の女神 (ランダムハウス講談社文庫 ヘ 4-2)

 殺人とはきわめて人間的な行為であり、殺す者も殺される者も人間なのだ。殺人犯をとんでもない怪物として、奇怪なものとして思い描くのは、殺人犯を不当に有利にすることになる。そうではない。殺人犯は人間であり、それぞれの殺人事件の根幹には感情がある。確かにねじ曲がってはいる、ねじれて醜悪ではある。しかし感情であることに変わりはない。その感情が強まりすぎると人を殺すことになる。
(本書p271より)

 ガマシュ警部シリーズ第2弾です。本書単体でも読めないことはありませんが、事件が発生するのは前作と同じ村なので、登場人物はかなり重複しています。前作で語られた人間関係を踏まえた上でないと理解できない描写もいくつかありますので、セオリーどおりシリーズを順番に読まれることをオススメします。
 前作から1年後。スリー・パインズ村で殺人事件が発生します。クリスマス直後のお楽しみであるカーリングの試合の最中に凍った湖の上で女性が感電死するという事件です。周囲には大勢の人間がいたはずなのに目撃者がひとりもいない不思議な事件。果たしてその方法は?そして犯人はいったい?
 衆人環視の中での殺人ということで、ミステリ読みとしては否応無しに好奇心が刺激されます。被害者を感電死させるために必要だった要素は、作中において次のように整理されています。(1)被害者は水溜りの中に立っていること。(2)被害者は手袋を脱いでいること。(3)被害者は通電するものに触れること。(4)被害者はブーツの底に金属をつけていること。これだけ複雑な要素を必要とする殺人を実行したのは何故なのか?運命のいたずらか、それとも犯人の計画性のなせる業なのか?
 本書を読んで強く感じたのが、本シリーズにおける探偵役とワトソン役の緊張関係です。私はそれなりの冊数のミステリを読んでるつもりですが、本シリーズほど両者の間に緊張関係がある作品もなかなかないと思います。本シリーズは視点人物がコロコロと変わりますが、探偵役は主人公であるガマシュ警部といってよいでしょう。対するワトソン役*1は、ガマシュ警部が選んだ若手刑事が、彼自身の側に控えてメモをとる役割を与えられることによって、その任に就くことになります。前作でワトソン役を務めたがのイヴェット・ニコルでしたが、両者の関係は(以下略)。
 本書でワトソン役を務めることになるのは、やはり若手刑事のロベール・ルミューです。彼はイヴェットに比べれば刑事として安定した人格を備えているようではありますが、前作の例がありますので、読者としてはハラハラしながら見守らざるを得ません。さらに、登場人物欄を見れば一目瞭然なのですが、ニコルは本作にも再登場します。事件の容疑者だけでなく、事件を捜査するチーム内の人間関係にも目が離せません。
 本シリーズは現代の警察小説らしく組織捜査というものを重視しています。事件の捜査において最も重要で大きな部分を占めているのは証拠と情報の収集です。そうした作業について各自が与えられた任務を確実に果たすことによって事件の全体像が見えてきます。ですが、それだけでは足りません。いったい何が犯人を殺人に駆り立てたのか?客観的な事実や証拠以外の事件の核心に迫る心理的な側面に光を当てる役割として、ガマシュ警部は独自の地位を築いています。現代的な捜査の手法と古風なミステリ的手法がガマシュ警部を起点とすることで両立しているのが本書の特徴だといえるでしょう。
 登場人物の内面が丹念に描かれているのは前作同様ですので、いくらか冗長に感じる部分があるのは否めません。ですが、必ずしも多いとはいえない容疑者たちの会話のひとつひとつが事件の全体像を確実に紡ぎだしています。意外性を演出するための工夫も用意されていて、とても満足のいく逸品に仕上がっています。前作以上にオススメです。
【関連】『スリー・パインズ村の不思議な事件』(ルイーズ・ペニー/ランダムハウス講談社文庫) - 三軒茶屋 別館

*1:但し、ワトソン役と断言できるほど明確な役割が与えられているわけではありませんが。