『スリー・パインズ村の不思議な事件』(ルイーズ・ペニー/ランダムハウス講談社文庫)

スリー・パインズ村の不思議な事件 (ランダムハウス講談社文庫)

スリー・パインズ村の不思議な事件 (ランダムハウス講談社文庫)

 原題は”STILL LIFE”なので、邦題にはかなり苦労の跡が見られます(笑)。オビには「アガサ。クリスティーの衣鉢を継ぐ」と書いてありますが、そこから連想されるようなケレン味は本書にはありません。ガマシュ警部という捜査チームのリーダーが主役を務め、また、作中に漂うどこか陰鬱な雰囲気もあいまって、個人的にはむしろP・D・ジェイムズのダルグリッシュ警視シリーズみたいなのが好きな方にオススメしたいです。
 ガマシュ警部シリーズと冠されているとおり主人公はガマシュ警部ですが、ガマシュ警部個人というよりも、ガマシュ警部を中心としたチームとしての警察を描こうという工夫が随所に感じられます。個人の活躍によって事件が解決するという従来どおりの警察小説の筋立ては、事件というものをドラマチックなものにする手法としては優れたものではあります。しかしながら、現代の警察による捜査というのはチームワークです。捜査官の一人ひとりが与えられた役割を果たすことによる解決。それが捜査の鉄則です。そんな小説としての筋立てと、現代警察の捜査との微妙な立ち位置への配慮が、本書を警察小説として独特な雰囲気を持つものに仕上げているのだと思います。
 警察との対比で描かれるのが、ケベック州にあるスリー・パインズという小村です。警察には警察の、村人には村人の人間関係というものがあります。そうした登場人物たちの視点が断片的に描写されることで事件は多面的に描かれます。警察側で面白いのはイヴェット・ニコル刑事の存在です。ガマシュ警部は捜査チームにいつも若手を組み込むことにしていますが、その方針によって捜査員に抜擢された彼女ですが、優秀な頭脳を持っていることは確かですが、にもかかわらず捜査においてはいつも足手まといとなります。個人としての資質と組織の一員としての資質という、求められるものの違い。それによって集団内での立場がまったく変わってきます。
 一方で、スリー・パインズという小村の住人たちは、芸術家が多いこともあって必ずしも常識人とはいえない困った人たち、端的に言って変人もいるのですが、変人でも受け入れられる集団があります。そんな平和な小村で起きた事件。それによって起きる異質な組織と集団との接触
 ケベック(参考:Wikipedia)という複雑な事情を持った土地柄がそうさせるのか、あるいはこれがガマシュ警部の捜査方針なのか私には判じかねるのですが、事件発生後、自身がある程度事情を把握した時点で集会を開いて、事件の要点を村人たちに説明するとともに質疑応答も行なっています。公権力の発動に際しての民主的試みであり、検死審問の一種のようなものとして理解することもできるでしょうか。
 事件は一見すると狩猟事故のようではありますが、死因となった凶器の矢がどこにも見当たらないことから殺人の疑いも捨て切れず、捜査はまず事故(過失)か殺人(故意)かの特定が目標となります。このとき、事故の可能性もあって殺人とは言い切れないという理由で被害者宅の捜索令状が下りないというのは、現実には正直あり得ないと思いますが(笑)、警察の捜査権限を抑制するという意味では一理あります。それによって、明らかに重要なピースが欠けたまま捜査は行なわれます。ミステリとして証拠不足なのは読者には見え見で(笑)、ゆえに確実な証拠に基づいた推理とかは本書では最後の最後になるまで楽しめません。ただ、捜査の途上でガマシュ警部が直面することになる親と子の自白のジレンマには考えさせられるものがあります。
 いわゆる推理の面白さには欠けますが、プロットの面白さは堪能できます。冒頭で描かれる絵の展覧会の審査。そこで行なわれる被害者となる人物の絵の審査。傑作か駄作かという芸術的な評価の対象にしか過ぎなかったものが、事件の真相の鍵を握るものとしてクローズアップされてくる過程には唸らされるものがあります。実質的に事件が動き、推理が展開され始めるのはそこからです。その段階になって、これまで描かれてきた心理描写の意味も明らかになっていきます。
 事件が一挙に収束へと向かう一方で、それと同じ加速度でこじれていく人間関係があるのが本書のとても面白いところです。閉じていく物語に平行して開かれていく物語。つまるところ、それが人生だ、ということなのでしょうね。
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