『フランドルの呪画』(アルトゥーロ・ペレス・レベルテ/集英社文庫)

フランドルの呪画 (集英社文庫)

フランドルの呪画 (集英社文庫)

 率直にいって、「本書を忌憚なく楽しむことができたのか?」と問われると否定するしかありません。というのも、本書は題材となっているチェスの重要度があまりにも高すぎるのです。いや、私だってチェスのことをまったく知らないわけでありません。駒の動かし方や最低限のルールくらいは知ってますから、指そうと思えば指せないことはないです。しかし、所詮はその程度の腕前に過ぎなくて、序盤の知識もなければ読みの力もまったくありません。なので、チェスが題材とされている作品を読むときには頭の中で将棋に置き換えることが多いです。もちろん、チェスと将棋は異なるゲームではありますが、共通点が多いことも確かなので、相違点さえ把握してればそうした置換によって作品を読み進めても問題のない場合がほとんどです。ところが、本書はそうはいきません。
 絵画の修復家であるフリアが修復を依頼された一枚の絵「チェスの勝負」。その絵にはチェスを指している二人の男と、実際にゲームが行なわれているチェス盤と、その様子を見つめている一人の女性の姿が描かれています。さらに、その絵には文字が隠されていました。
「誰が騎士を殺害したのか?」
 調べてみると、絵画に描かれている人物のモデルとなっている騎士は、その絵の描かれる前に不可解な死を遂げていることが明らかになります。さらに絵画の謎を調査すべくフリアはチェスが分かる人物を探します。その人物によって絵の中の指し手が分析され、騎士(ナイト)を取った手が逆算されることによって明らかになっていくのですが、この思考過程はチェスにある程度親しんだ方でないと理解が難しいレベルです。あまりに難解なので本書を壁に投げつけたくもなりましたが(笑)、しかしながら、そうはせずにこうして本書を紹介しているのは、もしも同じような試みが将棋によって行なわれていたとしたならば、おそらくは手放しで絶賛しているであろう自分の姿が目に浮かぶからです(苦笑)。
 絵の中に描かれているチェスの駒と盤。そして人物。さらにはそれらを写す鏡。そうして要素によって構成されている図像。それらの解釈には5層のレベルがあることが作中の図によって明示されますが、そうした構造は本書の登場人物たちの物語についても同様のことがいえます。なぜなら、殺人事件は絵の中だけでなくフリアの周囲でも発生するからです。
 誰が駒で誰がプレイヤーなのか?ゲームのルールは?そして、決着の条件は? 一枚の絵によって引き起こされた殺人事件。駒を操るのはプレイヤーであることには間違いありませんが、その指し手はときに盤上の駒に引きずられることがあります。さらには、必然とでもいうべき指し手を指すしかない場合もしばしばです。因果関係は複雑に巡ります。因が果となり、果が因となり、それらの循環経路によってやはりレベルの層が生まれていきます。そうした構造の妙を楽しむことができるのが本書の醍醐味ではあります。
 しかしながら、重ねて言いますが、チェスの具体的な指し手についての理解が求められるのは正直きついです。また、真っ当なミステリとして読むと真相があまりにも他愛のないものなのも困ってしまいます(もっとも、犯人当てが本書の主眼でないのは明白ですが)。なので、チェスが好きな方、もしくは変わった本が好きな好事家の方には気に入ってもらえると思いますが、そうでない方が読まれる場合に覚悟が必要であろうことは予めお断りしておきます。