ドリフ世代必読の書・いかりや長介『だめだこりゃ』

だめだこりゃ (新潮文庫)

だめだこりゃ (新潮文庫)

 フジモリの生まれ故郷では民放放送が2局しかなかったため*1、否が応にも「ドリフ世代」だったわけで、「ドリフターズ」といえば格別な思いがあります。5人のキャラクタを最大限に活かした、テンポ良く動きのある笑い。「志村、うしろ、うしろ!」など嫌でも頭に残るコントの数々。
 この本はドリフターズのリーダーである故・いかりや長介が書いた自伝です。若い人には「和久指導員」のほうが馴染み深いかもしれませんが、フジモリにとってはやはり「ドリフターズのリーダー」という肩書きの方がしっくりきます。
 内容は正しく自伝であり、自身の生い立ちからドリフターズ結成*2、お化け番組「8時だよ!全員集合」の裏話、同番組終了後の俳優としての活動などが、彼の人柄と同じく訥々と書かれています。
 一介のバンドがコメディアンとして一世を風靡していくさまは、傍から見ればサクセス・ストーリーのように見えますが、実際にはもっと泥臭く地道な活動の積み重ねでした。
 ただ一つ、彼らの(特にリーダーであるいかりや長介の)慧眼を挙げるとするならば、「テレビというジャンルにいち早く対応した」ということです。

いまからおもえば当たり前のことのようだが、「テレビにおける笑いの芸」ということについて、まだ誰も気づいていなかったのだ。テレビでの笑いは、古典落語のように「あいつの『らくだ』はいつ聞いてもいいね」とはならない世界なのだ。飽きられるのが早く、常に新鮮さを求められる。
 ネタが尽きたとき、そこで慌ててネタを新しく作る。そのネタは何年も練り上げられた前のネタに勝てるだろうか?(p99)

 テレビでの芸は「芸」ではありません。同じものを繰り返すことは「飽きられる」ことに繋がります。テレビは、「芸」の消費が尋常でないぐらいに早いのです。
 ドリフターズは、とにかく新しい芸を生み出すこと、常にストックを持つことに注力しました。営業活動で廻るスナックなどで客の反応を見ながら次々に生まれていくギャグやコント。「クレイジー・キャッツ」や「コント55号」に比べ「笑いの才能」に欠けている(と感じた)彼らは、練習量でカバーしようとします。
 プロ野球・巨人戦のナイター実況中継や「コント55号の世界は笑う」という強力な番組の裏で、毎週の生放送形式のお笑い番組というまさに無謀と思われる挑戦に挑んだ彼ら。その舞台裏を、飾るでもなく誇るでもなく淡々と綴る様は、まさに「語り部」を思わせます。
 お笑い観、メンバーに対する思いなど、今は亡き彼が何を思い、何を見てきたかがつぶさに記されている一冊。
 「あの頃」を知る人は是非とも読んでほしい、そんな本でした。

*1:NTV系列とJNN系列。以前は「笑っていいとも」が夕方5時から放送されていたことでも有名

*2:実際にはもともとドリフターズというバンドがあったので加入という形なのですが