『クジラのソラ 03』(瀬尾つかさ/富士見ファンタジア文庫)

クジラのソラ〈03〉 (富士見ファンタジア文庫)

クジラのソラ〈03〉 (富士見ファンタジア文庫)

 アウターシンガーとして覚醒し着実に力をつけている雫ではありますが、チームメイトである冬湖はさらに遙か先を行きます。アウターシンガーとしてこれまで誰も到達したことのない高みを夢みる冬湖の姿を目にして、雫は嫉妬と劣等感を意識せずにはいられません。努力の重要性だけでなく、その限界をも主人公に背負わせているのがこの物語の面白いところです。冬湖との力の差をハッキリと自覚して、戦いの目的が二人の間では微妙にズレてきていることも理解しながらも、それでも雫は自分の役割を果たすことを決意します。チームの勝利のために。それが絆だから。
 一方の冬湖は冬湖で、アウターシンガーとして急速に成長していく自分自身の力に自我が追いついていきません。第二アウターシンガーとしての可能性とくじら憑きという絶望との間で揺れ動く彼女。彼女の意識が《ゲーム》によって研ぎ澄まされ、加速していく彼女の思考が《ゲーム》を完全に支配していきます。もはや《ジュライ》に敵はないかと思われました。
 そんな《ジュライ》の前に立ちふさがったのは、かつて伝説的プレイヤーとして知られる一方でくじら憑きなって人格崩壊を起こして宇宙に旅立ったはずの冬湖の両親・枕井夫妻です。枕井夫妻との《ゲーム》は、二人にとって正反対のものを実感させることとなります。雫には自らの無力を。冬湖には自らの可能性を。二人が《ゲーム》で見ているものは異なりますが、それでも二人にとって《ゲーム》は自らの力を最大限に発揮できる舞台であることに違いはありません。
 冬湖にとって両親との《ゲーム》は、戦いから会話へとシフトしていきます。チェスや将棋、囲碁といったゲームは、ときに対話に例えられます。実力が拮抗したもの同士の戦いだと自分の言い分だけを通すことはできません。相手の意図も汲み取りながら自分の意志を相手に伝え、互いの意図を理解しながら如何に自分が有利になるように状況をリードしていくか。それはまさに勝敗という決着を前提とした会話なのです。また、そうしたゲームでは棋譜が残ります。勝負が終わりその指し手(もしくは打ち手)が亡くなった後も残された棋譜を並べることによって生者は死者と出会うことができます。『ヒカルの碁』において、ヒカルが盤上に佐為の姿を見たように。棋譜はあくまでも数字と記号の羅列に過ぎないのですが、それは人間の思考の残滓です。だからこそ、死者の棋風を感じ取ってそれと語り合うこともできれば、打ち破ることもできるのです。
 新たにメンバーとして加わり《ゲーム》に参戦することになる謎のプレイヤー・ソラですが、第二段階アウターシンガーとして強力な演算能力を持ちながらも《ゲーム》の腕前はからっきしです。そんなソラには何となく現在のコンピュータ将棋の姿がだぶって見えてきます。確かに、昔と比べると今のコンピュータ将棋は長足の進化を遂げました。その実力はもう少しでプロ棋士と方を並べ得るところにまできています。コンピュータ将棋は確かに強いです。特に”詰み”という答えが見えてくる局面では既に人間の限界を超えています。その一方で、独自の序盤戦術を構想するだけの能力はありません。コンピュータ将棋と対戦すると定跡どおりの手順を指してきますが、それはそのように覚えこまされているからに過ぎません*1。結局はプログラムされた手順をなぞっているだけです。新たに発見された序盤戦法に対して旧来のソフトではまったく対応できないのです。そこがコンピュータ将棋の致命的な欠点です。
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 ・・・・・・全力で閑話休題です(笑)。そんな彼女たち《ジュライ》のメカニックとして艦隊を整備している門倉聖一と、彼と唯一肩を並べることのできる存在であるアリス・ヴァレンタイン。二人の天才は、《ゲーム》のプレイヤーたちの力を存分に引き出すことができますが、その卓越した才能ゆえに国家レベルで警戒されることとなり、その生活は二重三重に縛られています。優れた頭脳を持ちながらも、その才能をごくごく限られた状況でしか振るうことを許されない人生。天才メカニックである二人の生き様は《ゲーム》のプレイヤーたちとはまさに対極にあります。
 世界は彼らを何とか自分たちの「駒」として扱おうとします。しかし、そんな世界もまた異星人ゼイにとっては駒でしかありません。多くの人間の利害関係と思惑が錯綜する中、ある者は不信から、ある者はリスクを自分の中だけに抱え込むために、皆が皆手札をを隠したまま行動します。誰もがプレイヤー足らんとして、自分以外の人間を自らの駒として動かそうとします。自らの意思を実現させるために。そこには相互理解という発想はありません。その結果として生じた悲劇。いったい何があったのか? すべての真相と決着は最終巻へと持ち越されることになりますが・・・・・・。
【関連】
プチ書評 『クジラのソラ 01』
プチ書評 『クジラのソラ 02』
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ヒカルの碁 1 (ジャンプコミックス)

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*1:もっとも、定跡を完璧に覚えているというのは一般人からすれば圧倒的なアドバンテージですけどね。