『われ敗れたり―コンピュータ棋戦のすべてを語る』(米長邦雄/中央公論新社)

われ敗れたり―コンピュータ棋戦のすべてを語る

われ敗れたり―コンピュータ棋戦のすべてを語る

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 本書は、2012年1月14日に行われた「第1回電王戦 米長邦雄VSボンクラーズ」について、対局者であった米長邦雄永世棋聖が対局までのいきさつや、あるいは対局に至るまで、対局中、対局後の心境などといった「米長邦雄にとっての電王戦」が語られている一冊です。
 ゆえに、米長邦雄視点から電王戦を見るという観点からいえば、本書はそれなりに満足な内容だといえます。反面、もう一方の対局者であるボンクラーズ側の視点は本書ではほぼまったく触れられておりません。なので、コンピュータ側の視点を知りたいという方にとって本書にはメモリアルブック以上の価値はないでしょう。
 基本的には米長邦雄永世棋聖という棋士(プレイヤー)としての立場から書かれていますが、一方で、将棋連盟会長という立場も当然ながら無視できませんし電王戦という棋戦(イベント)の内幕についても触れられています。米長の敗戦という結果を受けた上での本ということで、他の何人もの棋士を自宅に呼んで指させてみたけどほとんど負けてった*3とか、あるいは対局中のハプニングなど、一部言い訳がましい記述もないではないですが、基本的には、まともに指したら勝てないから2手目△6二玉を採用し、それは上手くいったけどやっぱり私が弱いから負けた、という潔い内容となっています。さすがに勝負師です。
 米長がトレーニングの一環として自身の全盛期の棋譜を並べてみるくだりがあります。米長は自分の棋譜を並べながら「なるほどなあ、この米長ってのはいい将棋を指すな」(本書p44より)という奇妙な感想を抱くことになります。

 そんなふうに思うということは、残念なことに、私自身が自分の指した手の背後にある思考を、すっかり忘れてしまっていることを意味します。実際の指し手の向こう側にある思考を可視化することができない。それこそコンピュータ将棋の研究開発のプロセスにおいて、いまはプロ棋士の思考を数値化、点数化して可視化していく試みが盛んに行われていますが(後略)。
(本書p44〜45より)

 このように、奇しくもコンピュータ将棋対策をしていたはずがコンピュータ将棋開発の意義を確認してしまうことになるのがなかなか面白いです。コンピュータ将棋開発の動機は様々でしょうが、個人的には『コンピュータは名人を超えられるか』(飯田弘之/岩波科学ライブラリー)p48以下で紹介されている「スペア」開発者グリンベルゲン博士の”人間の思考プロセス、とくにミスをするプロセスに関心”というのが印象に残っています。
 閑話休題です。とはいえ、実を言いますと、米長視点の一冊としても本書の内容には不満があります。ざっと挙げてみますと、
(1)本番前の2011年12月21日に行われたプレマッチについての記述が一切ない。*4
(2)2手目△6二玉についての掘り下げが甘い。
(3)p57七手詰め詰将棋についての説明が間違っている。
といった不満があります。

(1)について

 電王戦ではなんといっても2手目△6二玉が話題となったわけですが、その一因として前哨戦として行なわれたプレマッチにおいて米長が2手目△6二玉を指して惨敗したという経緯がありました。多くのファンにとって2手目△6二玉は初見だったわけではなくて、プレマッチで惨敗したにもかかわらず、本番でこりずに再び△6二玉を指したからこその驚きというものがあったわけです。そうしたいきさつや事情といったものが記されていないのは重大な欠落だと思います。

(2)について

 電王戦で大きな話題をさらったのは2手目△6ニ玉からの米長の構想です。まず、△6二玉の直接的な意図としては、コンピュータに登録されている定跡データベースを外す、という狙いがあります。コンピュータ将棋にとって序盤の駒組みはひとつの大きな課題です。なぜかといえば、駒と駒とがぶつからない段階では、どんな手が最善なのか判断できないからです。「将棋の初手の最善手はなにか?」というのは人間にとっても未解決の難問です。そこで、コンピュータ将棋はプロ棋士やアマ高段の対局の序盤戦を定跡データベースとして登録することで序盤に対応しています。そこで、人間側が定跡から外れた手を指したときにはどうすればいいのかがコンピュータ将棋にとって大きな課題となります。この定跡データベースから外れるために米長が選択した手、それが△6二玉ということになります。
 相手が定跡から外れた手を指したときにコンピュータ将棋はどうするのか? ひとつの例として、「落とし穴方式」と呼ばれるものがあります。

 定跡から外れてしまった場合の駒組みに関して、YSSの作者である山下宏氏の考えは次の通りである。相手が定跡通り指してくるときだけ、定跡データベースを利用し、定跡を外れたらそのデータベースは使用しない。その代わり、「落とし穴方式」と呼ぶアイデアでプロ棋士のようなバランスのとれた駒組みを目指す。
 落とし穴方式では、プロ棋士の序盤でよく目にする理想的な守りの布陣、すなわち王の囲いを識別し、その囲いに関与している駒とマス目に対して妥当な評価点を与える。そして、これらの評価点を記した「表」をそれぞれの囲いごとに用意する。その表を参照することで、どのような手順で囲いを完成すべきかを理解し、コンピュータは美しい駒組みを築くことができる。囲いが完成する途中で、相手からの素早い攻撃にあったとしても、適宜、柔軟に対応できるところが、この方式の強みである。
(中略)
 落とし穴方式は、序盤はできるだけ無難に指せばよい、という方針に基づいている。
『コンピュータは名人を超えられるか』(飯田弘之/岩波科学ライブラリー)p64〜65より

 ▲7六歩△6二玉の次に指すべき手は何か?その辺りの掘り下げが甘いのが個人的にかなり不満です。すなわち、△6二玉を指した理由ばかりが説明されていて、普段の対局で何ゆえ△6二玉が指されないのか、という点についての説明が甚だ不十分なのです。p168の佐藤九段のコメントによれば3手目が▲2六歩から飛車先の歩を突かれると相当危ないみたいですが、やはり具体的な説明が欲しかったです。
 それはさておき、ボンクラーズは3手目に▲2六歩と突くことなく▲6八飛と飛車を振って、その後は美濃囲いに玉を囲います。こうしたボンクラーズの指し方はまさに「落とし穴方式」に沿った無難な指し方だといえます。つまり、無難ではありますが△6二玉を咎めようという意図を持たない駒組みです。ゆえに、△6二玉から米長が抱いていた構想にボンクラーズは嵌まることになります。△6二玉はボンクラーズの序盤データベースを外すという一義的な狙いだけでなく、そこから先の展開をきちんと見据えた一手でした。それは入玉です。

(前略)そうしたコンピュータの思考の中で、現実的につきうるものは、入玉です。入玉というのは、相手の陣地にこちらの玉が入ることをいいます。これは、人間同士でも詰ますことが難しくなる局面ではあるのですが、ボンクラーズは、入玉されると人が変わったように弱くなることが知られています。実際、練習対局では、私の王様が入玉さえすれば、どんな形であっても勝つことができました。この弱点をつくことが、私が今回戦う作戦の、大きなポイントとなるだろうと思いました。
(本書p58〜59より)

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 初手*6から入玉を目指す指し方。それが恥ずかしいかどうかはともかく、通常の序盤の駒組みでないことは確かです。ただ、米長がこうした指し方を選んだ背景には、米長がボンクラーズと何度も指してたどり着いた「私はコンピュータよりも弱い」(本書p54より)という認識というか厳然たる事実を踏まえなくてはなりません。
 まともにやって勝ち目がなければ、邪道を歩んででも勝利を模索する。△6二玉については読売や朝日の記者などから異論や反論が出されましたが*7、勝負師としての側面からすれば全面的に肯定し得るものだと思います。なんとなれば、そもそも無策で挑めというほうが無茶というものでしょう。それに、米長は現役プロではなくプロを引退した元プロです。現役プロではないゆえに指せた一手という意味で、元プロの「特権」を活かした一手だといえます。

 基本的には、対人間との将棋は、対コンピュータ戦ではあまり役に立たない。逆もまたそうだということです。引退棋士である私は、コンピュータと対戦する棋士として、その点では最適であったのかもしれません。
(本書p139〜140より)

 いずれにしても△6二玉がコンピュータ将棋の弱点を突いたことは間違いなくて、そのために人間対コンピュータならではの将棋が展開されることとなったわけで、今後、人間対コンピュータ将棋について語ったり考えたりする上で意味のある一手にして一局となったと思います。
 米長の事前の研究の甲斐あって、序盤中盤と米長は優勢を築くことに成功します。とはいえ、歩み慣れない道を歩み切ることはやはり困難で、せっかく築いた優勢もひとつの見落としからあっという間に瓦解し、あとは残念ながら一方的な展開となってしまいました。持将棋千日手含みの展開は疲れを知らなければ美学も持たないコンピュータ将棋が相手では茨の道です。このように、相手がコンピュータだからこその戦略というのは確かにあります。そのことが明確になっただけでも本局が行われた価値はあるでしょう。

(3)について

 この件についてはこちらの感想記事が詳しいですが、酷いミスだと思います。
「われ敗れたり」の感想 - hokaze153の日記



 こうした不満はあるものの、人間対コンピュータという一大イベントを記録した本としてそれなりに面白い内容だと思います。ただ、確かに永世棋聖の称号を保持し元名人でもある大棋士ではありますが、やはり引退棋士です。これだけコンピュータが強いのであれば、やはり現役バリバリのプロ棋士と対局してどうなのかが気になります。そして2013年、第2回電王戦としてプロ棋士対コンピュータ将棋の5対5のチーム戦が行われることが決まりました。これこそ真のプロ棋士対コンピュータ将棋戦です。今回の「前座」を踏まえてどのような勝負が繰り広げられることになるのか。今からとても楽しみです。
【関連】
次は私がコンピュータと対局します! - 中央公論.jp
将棋人生、最後の大勝負 - 中央公論.jp
私は永世棋聖として必ず立って戦います - 中央公論.jp
http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/700/106376.html
NHK クローズアップ現代

*1:あずまんが大王 2年生』(あずまきよひこ少年サンデーコミックススペシャル)p126より

*2:ハチワンダイバー』(柴田ヨクサルヤングジャンプコミックス)6巻p195〜196より

*3:プロ棋士は尊敬される存在でありたいとしてコンピュータとの対局を律している将棋連盟会長としての立場を考えれば、この記述はどうかと思わないでもないですが。

*4:「第8章 棋士、そしてソフト開発者の感想」にてわずかに触れられているのみです。

*5:ハチワンダイバー』(柴田ヨクサルヤングジャンプコミックス)4巻p106より

*6:ボンクラーズ戦は後手番なので正確には2手目ですが。

*7:本音をいえば、普通にボンクラーズが圧勝すると思ってました。なので、私としてはむしろ善戦したと思ってるくらいです。今回の勝負で米長の指し手を非難している人は、おそらく私と違って、米長に期待していたのだと思います。