『アクセル・ワールド〈2〉紅の暴風姫』(川原礫/電撃文庫)

アクセル・ワールド〈2〉紅の暴風姫 (電撃文庫)

アクセル・ワールド〈2〉紅の暴風姫 (電撃文庫)

 なるほど。確かにゲームとは不思議なものです。昔のコンピュータゲームは、それがシューティングにしろアクションにしろアドベンチャーにしろロールプレイングにしろ、クリアすることが最終目的でした。ところが、多くの人がネットでつながるオンラインゲームでは、遊び続けることが目的となります。そこでは、ともすればクリアと呼ばれるような概念とは無縁なようにも思われるかもしれませんが、しかしながらやはりそこにもミッションだったりイベントだったりとこなすべき目的が用意されています。そうした目的をこなすこととゲームをクリアすることとは、同じような気もしますが違うような気もします。
 思うに、本作『アクセル・ワールド』の世界のゲーム観は、囲碁や将棋といったものに近いです。対戦型の格闘ゲームである「アクセル・ワールド」のクリア条件として分かっているのは、最強のプレイヤーであるレベル10になることだけです。そのとき何が起こるのかはプレイヤーの誰にも分かっていません。その一方で、ゲーム世界にのめり込み、さらには「アクセル・ワールド」でポイントを稼ぐことによって得られる現実世界での《加速》という特典が、プレイヤーにとってのリアルサイドを果てしなく薄めていきます。その結果、現状維持を目的とする停滞した秩序ができあがるのも自然なことだといえるでしょう。
 囲碁や将棋の世界で戦うプロ棋士は勝負師であり研究者でもあります。対戦相手に勝利するために常に最善の手を模索するのがプロの棋士です。ですが、そういった最善の手の積み重ねは、自分たちが耽溺し生活の糧としているその世界を壊してしまうことにも繋がっています。なぜなら、展開型二人ゼロ和ゲームで有限+確定+完全情報という条件が揃っている以上、囲碁や将棋には先手必勝・後手必勝・引き分けのいずれかの解が理論上必ず存在するからです。そのゲームが解明されて必勝法が編み出されてしまえば、プロ棋士の存在意義はなくなってしまいます。ですが、にも関わらす、棋士は常に全身全霊を賭して最善手を追い求めます。
 ひとつには、囲碁や将棋といったゲームがとんでもなく奥の深いゲームであるということがあります。「将棋は誰かが作ったゲームなんだけれども、ぼくは神がつくったゲームかなと思うときがあります」とは将棋棋士佐藤康光の言葉*1ですが、誰がどんなつもりで将棋などというゲームを作ったのかは分かりません。ですが、そうした作成者の意図を離れて、囲碁や将棋といったゲームは有名無名の天才たちによって歴史と伝統が積み上げられてきました。ゲームを作った人物の意図やゲームの最終目的が気にならないといえば嘘になります。ですが、そうしたことを抜きにしてもプレイヤーの人生はそれとは別個のものとして棋史に残り輝き続けます。
 ゲーム世界の終わりを意識しながらプレイし続けることは、リアルサイドの未来を見据えることにも繋がってくるのだと思います。本書では副題のとおり”紅の暴風姫”、つまり赤の王が出てきます。その登場の仕方にはあざといと思わないでもないですが(苦笑)、リアルサイドとゲームサイドとのバランスやめりはりは絶妙です。両方の世界を通しての人間関係の変化や人間的な成長といったものは青春小説として王道的面白さがあります。
 小説もゲーム世界と同様に一種の仮想世界です。その世界も商業的な事情などでときに停滞してしまうことがありますが、その末路はいみじくも本書内でハルユキ述べているエンディングのないゲームの《終わり》のようなものです。そんな終わり方はやはり間違っていると思います。だからこそ、本作はそうした終わり方だけは絶対に迎えないはずです。本作が果たしてどのようなゲームの《終わり》を、エンディングを見せてくれるのか?まだまだ寂しさを覚えるような段階ではないでしょうから、とりあえずは期待感だけ抱いて続きを待ちたいと思います。
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