『黄金の灰』(柳広司/創元推理文庫)

黄金の灰 (創元推理文庫)

黄金の灰 (創元推理文庫)

 本作は柳広司のデビュー作です。柳広司といえば、歴史上のエピソードの謎を額縁としつつ、その中で推理小説的な謎解き物語を展開していくという手法が持ち味ですが、その手法は本書でも健在です。というより、デビュー作である本書の時点ですでにそうした方向性をある程度固めていたと思われます。というのも、本書では「物語」というものの持つ意義が力強く語られているからです。
 歴史上の謎とミステリ的な謎を二重塗りする作風は、ともすれば独創性に欠けるものと思われるかもしれません。ストーリーの大枠自体は歴史上のエピソードを借用したものですし、そこで語られているストーリーも「謎の発生→捜査→解決」というミステリの雛形にとても忠実なものです。本書で用いられているトリックにしても、作中で述べられている通り前例があるものをそのまま堂々と使っています。
 しかし、では本書の物語には存在意義がないのかといえば、そんなことは断じてありません。本書の結末の箇所において犯人とシュリーマンとの間で熱く語られる真相を巡る論戦。それはそのまま本書にも、ひいては本書の後も次々と発表され続ける一連の柳作品についてもいえることです。
 私は柳作品が大好きです。理由はいくつかありますが、まず、ミステリを読んで歴史の勉強ができるというのがとてもお得だからというのがあります(笑)。本書だと、シュリーマン(参考:Wikipedia)が1873年に行なったトロイア遺跡発掘が題材となっているわけですが、聞いたことはあるけれど詳しくはよく知らん、という事柄を勉強するのに柳作品は最適です(笑)。もっとも、本書はあくまで小説・フィクションですから、そのすべてを真に受けるわけにはいきません。しかし、興味のとっかかりとしては十分ですし、今ならネットでちょっと検索すれば簡単に知識を補うことができます。ホント、いい世の中になりました。
 また、ミステリの醍醐味として、真相が明らかになったときに世界が暗転するかのような酩酊感が味わえるというのはあると思います。ときにカタルシスとも呼ばれたりしますが、それまで灰色だったものが白黒ハッキリする瞬間。そうしたミステリ特有の暗転の明暗が、歴史上の謎と組み合わさることでより鮮烈なものになります。本書の場合だとトロイア遺跡が発掘される前と後での世界の変容がそれです。それまでの歴史学の通説がひっくり返されたその時の何ともいえない感覚。真実が白日の下にさらされることでいったい何が起きるのか。犯人や探偵、被害者といった限られた人数による館や孤島といった閉鎖的な空間内でストーリーが進められがちなミステリにあって、世界の広がりを否応なく感じさせてくれるミステリの書き手として、柳広司はとても貴重な存在だと思います。
 しかしまあ、そんな小難しいことを抜きにしても小説として普通に面白いのです。本書の場合だと、シュリーマンがいい具合に変人に描かれているのがとても興味深いです。史実と照らし合わせてみても、シュリーマンという人物こそがトロイア遺跡発掘における最大の謎だといえるでしょう。主人公(=語り手)を妻のソフィアにしてシュリーマンを観察対象としたのは大成功だったと思います。
 史実がモチーフとなっていることから、歴史に興味のある方をミステリファンとして引っ張り込むことが見込めるというメリットがあるのも、ミステリファンとしての布教の観点から見逃すわけにはいきません(笑)。そんなわけで作家ともども広くオススメしたい一冊です。