『ボーナス・トラック』(越谷オサム/創元推理文庫)

ボーナス・トラック (創元推理文庫)

ボーナス・トラック (創元推理文庫)

 第16回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞作品が創元推理文庫で文庫化されました。
 作品の来歴に着目すれば、本書はファンタジーということになります。あるいはレーベルに着目すれば、本書はミステリということになります。どちらも間違いではないのですが、しかし、どちらも本書の紹介としてしっくりこないというのが本音です。確かに本書ではひき逃げ事故の被害者である横井亮太が幽霊となって、事件の目撃者である草野哲也につきまといます。幽霊が出てくる作品なのですからファンタジーですし、ひき逃げ犯を探すという意味ではミステリです。ですが、それでも本書をファンタジーもしくはミステリとして押すことには躊躇せざるを得ません。というのも、本書の描写のほとんどが現実的な日常を描くことに割かれているからです。本書の指向性を強いて述べるとすれば、解説でも指摘されていますが、成長小説として紹介するのが適切じゃないかと思います。
 本書はひき逃げに遭って死んでしまい幽霊となってしまった(元)大学生・横井亮太と、某有名ハンバーガーチェーン店の社員として忙しい日々を送る最中、ひき逃げ事件を偶然目撃してしまい横井に”憑かれる”ことになった25歳の青年・草野哲也の二人の視点から語られます。この二人が本書の主役ということになります。
 自己の確立(アイデンティティの獲得)を考える上で、職業活動によって心理的・経済的安定を得るというのはとても大切なテーマです。……などと小難しい言い方をわざわざせずとも、仕事を折り合いを付けることは人生においてとても大切です。それが一般的に「大人になる」ということでもあります。近年、若者が数年で仕事を辞めてしまうという現象が指摘されていますが、25歳という年齢はそういう意味でもフォロー、あるいは自己点検が必要な年齢だといえるでしょう。そんな内省の機会を、草野は横井という幽霊によって与えられます。つまり、ありがちな職業人の日常が幽霊によって異化(【参考】異化 - Wikipedia)されているのが本書の特徴だといえます。
 また、ミステリの文脈で日常というワードを捉えると、ついつい日常の謎(【参考】日常の謎 - Wikipedia)という分野を想起してしまいます。ですが、本書の場合、謎と呼べる程ひき逃げの問題がクローズアップされているわけではありません。こちらもやはり、日常を強調するためにミステリ的展開が用いられていると理解するべきだと思います。逆にいえば、本書にミステリとしての面白さを期待してしまいますとガッカリされるおそれがありますのでご注意を。本書の主眼はそこにはありません。
 幽霊という言葉から想像されるような悲壮感はなくて、むしろコミカルなくらいです。でも、やっぱり死ぬのは悲しくて寂しくて、つまらない日常でも生きていたいと思えるお話です。
 幽霊が出てくるお話ですが、地に足の着いたお話です(←上手いこと言ったつもり)。