『キング&クイーン』(柳広司/講談社)

キング&クイーン (100周年書き下ろし)

キング&クイーン (100周年書き下ろし)

 六本木の雑居ビルにあるバーでバーテンダーとして働いている元SP(セキュリティ・ポリス)冬木安奈。そんな彼女の元に奇妙な依頼が舞い込んできた。それはチェスの世界チャンピオン:アンディ・ウォーカーの身辺警護をして欲しいという依頼だった。日本では資格を持たない者が身辺警護を行うことは法律で禁じられているからと依頼を断ろうとするが、警察だけでなく民間警備会社からも警護の依頼を断られたと聞いた彼女は彼に警護を行うことを決断するが……といったお話です。
 柳広司といえば歴史ミステリや古典文学を題材にしてきた作風で知られていますが、本作はそんな著者が初めて現代の日本を舞台に選んだミステリです。『キング&クイーン』というタイトルは一義的にはまさに”最強の駒”である安奈と、そんな彼女の警護対象となるチェス世界チャンピオン:アンディ・ウォーカーの関係そのものを表わしています。チェスというゲームにおいてクイーンは最強の駒ですが、盤上において最重要の駒はキングです。キングを守り、ときには犠牲となるためにその能力を発揮することがクイーンには求められます。一方で、死命を制する駒であるキングにはチェスというゲームに勝つための思考が宿ります。頭脳明晰である安奈には、アンディ・ウォーカーがいったい何を考えているのか分かりません。社会的には生活力ゼロの無能者であるアンディですが、チェスの才能だけは悪魔的に天才で、それゆえにアメリカから睨まれる程の存在である彼が、いったい何を考えて安奈を振り回すのか。駒とプレイヤーでは思考レベルが違います。そんな多層的な思考が少なからず楽しめるのが本書の特徴です。
 ただ、本書は安奈自身の事情やアンディについての情報収集などの序盤(チェスでいうところのオープニング)が意外と長くて、それでいて物語が動き出したと思ったらあっという間に勝負がつきます。物足りないといえば物足りないのですが、クイーンが最後の最後にその役目を果たす点も含めて、チェスを題材としている小説らしい展開だといえます。
 「ミステリというよりサスペンスだな」と思いながら本書を読み進めると意外な真相が待っています。その仕掛けについて詳細を語るわけにはもちろんいきません。ただ、将棋のプロ棋士羽生善治は講演で、「三人の羽生が居る。先手羽生、後手羽生、観戦羽生」と述べていますが、対戦形式のゲームについてこうした3つの視点から考えることができます。そんなゲーム性が表現された、チェスが題材の作品らしい仕掛けである、ということくらいは言ってもいいかも?(言いすぎかも?)
 とはいえ、ミステリという枠内で物語を収めてしまったがゆえに、物語のスケールがこじんまりとしたものになってしまっているのは否めません。構成の巧妙さという観点から本書を評価する向きもあるかもしれませんが、個人的にはがっかり感の方が強いです。ただ、手順(コンビネーション)の妙は堪能できます。
 ちなみに、チェスに詳しい方であればすぐにお分かりでしょうが、アンディ・ウォーカーのモデルはボビー・フィッシャーボビー・フィッシャー - Wikipedia)です。最後に紹介される将棋の丹羽名人のエピソードも、羽生善治小泉首相に「フィッシャーさんを自由に!」と題するメールを送ったというエピソードが由来となっていますので参考まで。
【参考】フィッシャーを救おうとする羽生 - 勝手に将棋トピックス