姉妹の成長と絆を描くあたたかな「本格妖怪漫画」 熊倉隆敏『もっけ』

もっけ(勿怪) 1 アフタヌーンKC

もっけ(勿怪) 1 アフタヌーンKC

全9巻を持ちまして熊倉隆敏もっけ』が無事、大団円を迎えました。シリアスとほのぼののバランスを見事に保った良質なマンガでしたので、完結を機にこの物語を振り返ってご紹介したいと思います。

「見える」姉、「憑かれる」妹

もっけ』は月刊アフタヌーン熊倉隆敏が連載していた伝奇漫画です。「もっけ」とは「勿怪」と書き「勿の怪=物の怪=もののけ」、有り体に言えば「妖怪」のことを言います。「もっけの幸い」の語源ですね。
物語は、「もっけ」が見える体質の姉・檜原静流と「もっけ」に好かれ憑かれやすい体質の妹・檜原瑞生が毎回様々な「もっけ」に「出会う」お話です。
古くはバロム1、最近では『バクマン。』と、「二人で一人」・・・じゃなかった、一つの能力を二人で分配された物語というものは数多くありますが、『もっけ』もまた、「もっけ」を「見る」能力と「憑かれる(接触する)」能力が檜原姉妹に分割され配分されています。「もっけ」による「困ったこと」を解決するためには、姉妹二人が協力しなければならず、それはまた、とりもなおさず姉妹の「絆」を描くことにもつながります。
物語では、しばしば、二人だけでは解決できない事象が発生します。その際は「拝み屋」である姉妹の祖父が登場しますが、彼は姉妹に助言や助力を与えるだけで、基本的な解決は姉妹に委ねます。そういった年長者からの厳しくも温かい視点・支援など含め、非常に「家族」を意識した物語であるといえます。

もっけ」は敵じゃない

登場する「もっけ」たちは、人に害を与えないかわいいものから命に関わる危険なものまでさまざま登場します。
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しかしながら、檜原姉妹はそれらを「退治する」のではなく、時には説得し、時にはやりすごし、時には受け入れることで被害を最小限にしようと努力します。
もっけ」を敵とせず、「あるがままに」受け入れること。これは非常に「日本風」な考え方でもあります。

しかし、日本列島の自然が人間に優しいばかりだったわけではけっしてない。昭和初期に「風土ーー人間学的考察」によって東洋と西洋の比較文化論を展開した和辻哲郎は、東洋と西洋における人間の自然への対応の違いを生み出した基盤として、梅雨や台風がもたらす大雨、洪水、暴風といった、湿潤な季節風気候の荒々しい力が夏の暑熱とともに人間を支配する東アジアの自然と、そうしたもののない、乾燥した穏やかな夏を持つヨーロッパの温順な自然を対比している。
気候以外の面でも、日本列島の大部分は災害を生みやすい急峻な地形であり、さらに火山脈の上にもあるために、噴火、地震、山崩れ、津波といった、抗しがたい地質変動の暴威にも常にさらされている。こうしたことも含めた今日の視点からみても、自然の特性の違いが、ヨーロッパでは人間が自然を征服してこれを効率的に利用する風土を生み、それに対して、東アジアでは、自然に対抗するよりも柔軟に順応しようとする風土を生み出してきた、とする和辻の指摘は今も私たちに多く示唆を与える。
(石城謙吉『森はよみがえる』講談社現代新書

大きな自然災害が少なかったが故に「自然は征服するもの」という考え方を持つ西洋風な考え方に対し、あらがえないほどの自然の脅威にさらされ続けてきたが故に生まれた「自然はあらがうものではなく受け入れ共存するもの」という考え方を持つ「東洋風、日本風」な思考。
もっけ』は、まさに「もっけ(=脅威、異端)」との共存を描いた物語なのだと思います。

もっけ」とは即ち「悩み」である

もっけ」は、しばしば人に取り憑きます。
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姉妹は「もっけ」を払おうとしますが、「もっけ」を払うことにより憑かれた人間の心の闇にふれることになります。
京極夏彦が書く「京極堂シリーズ」では、不可解な謎を「妖怪」になぞらえ、登場人物の心の闇から複雑怪奇に絡まった事象やら土地にまつわる忌まわしき風習やらを「解体」し、「妖怪を払う=謎を解く」という「憑き物落とし」を行います。
もっけ」も同様に心の闇に入り込む「もっけ=妖怪」と退治することで、その人物の心と対峙することになります。
9巻で描かれる最終エピソードなどはまさにこの最たる物で、「彼女(あえて名は伏せます)」の心の闇が妖怪とともに晴れていくシーンは、読者に大いなるカタルシスを与えることでしょう。
捻った見方をすれば、静流の能力は「対象の心の闇を妖怪に模して見ることができる能力」ともいえるのかもしれません。*4

姉妹の別離と成長

物語は、いわゆる「サザエさん時空」と異なり、基本的に主人公たちが年をとっていきます。*5姉の静流は初登場時中学2年生だったのが最終回時は高校2年生、妹の瑞生は初登場時小学5年生だったのが最終回時は中学2年生。ちょうど、最終回の時点で瑞生は姉の初登場時の年齢になるわけです。
姉・静流はおとなしく内向的な性格、妹・瑞生は活発な性格でありますが、さまざまな「もっけ」と対峙していくにつれ、二人は成長していき、また姉妹の絆を深めていきます。
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しかしながら姉・静流は高校進学を機に一人暮らしを決意します。相互の能力に依存したお互いの関係を見直すためでもあり、また自身の成長を願う故の決断でもありました。
あにはからんや、別々の環境で過ごす二人は、それぞれ「もっけ」に対し一人で立ち向かわなければならなくなります。しかし、その困難を乗り越え、二人はそれぞれ「成長」していきます。
一つの「能力」を二人で分け合い、そしてまたその二人を「別離」させることで成長を促す。
この構成は非常に巧みであり、しばし二人が邂逅したときの「お互いの成長を意識する」場面などはけっこう胸にくる物があります。

もっけ」との共存、「能力」との共存

「能力」を持つ人間の苦悩を描く物語の結末としては、「能力の喪失=日常への回帰」による幕引きという手法があります。例えばバトル漫画などでは、「戦闘中」は重宝されるその能力が「日常」で疎まれる、いわば「異端視される」主人公たちが苦悩する、という場面があったりします。「日常を取り戻す」ことが目的の漫画では「主人公も日常に回帰する」という結末は非常に収まりがよいですし、逆に「異端であることを意識し、去っていく」主人公というパターンもあるでしょう。
もっけ』でもまた、静流が「見えなくなる」というエピソードを物語に挟みます。
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しかしながら、能力を喪失したまま日常に回帰するという物語の結末ではなく、再び取り戻した自身の能力と「つきあっていく」という方向に向かいます。
もっけ」の存在と同じく、自身の能力を「在るもの」として受け入れ、馴致していくという「生き方」。
これもまた、日常への回帰であり、『もっけ』という物語の根底にある「共存」という考えを見事に具現したハッピーエンドだと思います。

怖くない妖怪漫画

つらつらと『もっけ』について語ってみましたが、基本、ほのぼのの日常に姉妹の成長や苦悩などシリアスな要素が絶妙なバランスでブレンドされている、のほほんと読み楽しめる漫画だと思います。
妖怪を描くのに怖くなく、悪い妖怪を退治する話でもない。
まさに「日常」に「妖怪」が「居る(在る)」物語であり、物語の舞台でもある山村の素朴な雰囲気も相まって、読了後には「妖怪が存在することが当たり前」という気分になっていることでしょう。
夏!といえば怪談ですが、
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怖くない妖怪漫画『もっけ』を読んで妖怪に思いを馳せる、という夏もまた楽しいものかと思います。
全9巻と適度なボリュームですし、興味もたれたかたは、この夏ぜひご一読することをオススメします。

森はよみがえる―都市林創造の試み (講談社現代新書)

森はよみがえる―都市林創造の試み (講談社現代新書)

*1:巻9,P10

*2:巻8,P32

*3:巻8、P148

*4:もちろん、静流は「自然」にある「もっけ」を見ることもできますので、単なるサイコドクターなわけではありませんが。

*5:たまに過去エピソードも挟まるので、毎回毎回時間が前に進むわけではないですが。

*6:巻8,P189

*7:巻9,P122

*8:あずまきよひこあずまんが大王1年生』P86