『震度0』(横山秀夫/朝日文庫)

震度0 (朝日文庫 よ 15-1)

震度0 (朝日文庫 よ 15-1)

 もはや痛みすら感じなかった。はっきりと自覚した。何千何万の人が死のうが、六百キロ離れた彼の地の出来事は無関係なことなのだ。N県警の警務部長として冬木がやるべきは、不破失踪の真相を早急に突き止め、この異常事態を最小限のダメージで軟着陸させることに尽きる。火炎を上げさせてはならない。それは冬木自身への類焼を招き、下手をすれば火達磨になる恐れがある。
(本書p190より)

 横山秀夫得意の警察小説です。主要人物として名前が挙げられている人物は警察幹部ばかりで、役職と名前・年齢・キャリヤ/ノンキャリ・階級といった警察内での立場が明確に示されています。また、彼らが住んでいる公舎と職場であるN県警本部庁舎の見取図が用意されています。このように、警察幹部たちを主要人物として、県警公舎と本部のみを舞台としています。まさに、「事件は会議室で起きているんだ」というタイプの警察小説です。現場というものを間接的に描く面白さがこの小説にはあります。ありますが、実に微妙な面白さです(笑)。
 警察小説らしくいくつかの事件が平行して語られます。阪神大震災。内部手配していた強盗殺人の容疑者の目撃情報。そして警務課長・不破の失踪。事件の大きさとしては、何といっても阪神大震災インパクトにはかないません。私も外からテレビで阪神大震災を見ていた人間なので、時が経つにつれて被害者の数が数十から数百、そして数千と現実感のないまま数字が増えていって、現実感がないのに戦慄を覚えずにはいられなかった当時のおかしな感覚を思い出します。N県警としても応援部隊を用意はしますが、情報がなかなか入ってこなくて交通網も麻痺しているために待機の状態が続きます。
 しかしながら、N県警内部にあって震災は最重要な事件ではありません。警務課長の謎の失踪。県警のスキャンダルになりかねない事件は、本部長の消極的な姿勢もあってN県警内の権力闘争を勃発させてしまいます。いわば、阪神大震災という大事件を捨て駒にしているのです。日航機墜落事故を真っ向からテーマにした『クライマーズ・ハイ』を描き切った著者だからこそ可能な芸当でしょう。
 当事者がみんな警察幹部なので、部下を使って間接的に現場の状況を知ることになります。それは情報として駆け引きの材料となります。こうした警察内の権力争いと、それに関係する人間たちの心情がときにくどく感じるほど丁寧に描かれているので面白いです。
 ただ、確かに面白くはあるのですが、間接的かつ多面的に事件が描かれているので、読者から見れば少々まどろっこしくはあります。結果として題材の割にはページ数のある分厚い本になってしまってます。いや、読み出せばさすがのリーダビリティでさくさく読めますし真相も皮肉が利きながらも衝撃的なものになっています。なのですが、これだけ長々と語ってきて、しかも阪神大震災捨て駒にしておきながら結局こんなオチなのかよ、という気もしないではないです(笑)。もっとも、それこそが本書の狙いであり本質であることは間違いありません。端的に言えば「会議を有意義に行うために」ということになるでしょうか(笑)。京極夏彦の『邪魅の雫』などにも通じると思うのですが、警察(特に組織)というものをある程度真摯に書こうとすると、ともすれば冗長に思える分厚さになってしまうのは避けられないのかもしれません。つまり、構造的問題なように思ったり思わなかったりです。