『シャルビューク夫人の肖像』(ジェフリー・フォード/ランダムハウス講談社文庫)

シャルビューク夫人の肖像 (RHブックス・プラス)

シャルビューク夫人の肖像 (RHブックス・プラス)

 名うての肖像画家として知られているピアンボはある日奇妙な仕事をシャルビューク夫人から依頼される。それは、自らの姿を一切見ることなく肖像画を描いて欲しい、というものだった。法外な報酬もさることながら、新しい仕事の必要性を感じていた彼はその依頼を受けることにする。ピアンボは屏風越しに語られる夫人の身の上話を聞きながら彼女の姿を推測し、イメージをふくらませていく。果たして彼はシャルビューク夫人が満足のいく肖像画を描くことができるのか、というお話です。
 19世紀末のニューヨーク。写真の発明によってその日暮の労働者ですら端金でおのれの似姿を手に入れることができるようになったため、金持ちの間で自らの肖像画の製作を画家に依頼するという習慣が大流行します。本書の主人公であるピアンボはそうした時流に上手く乗って経済的には十分な成功を収めていました。しかしながら、肖像画の仕事に追われるうちに彼は気が付いてしまいます。自らの絵が依頼主の策略や権謀術数といった”虚栄の横暴”に振り回され画家としての志を見失ってしまっていることに。
 そこに舞い込んだ奇妙な依頼。対象となる人物の姿を見ずに肖像画を描くという不可能とも思える仕事を彼は引き受けます。「これからなにをするべきか」を見つけるために。

「その周囲にあるものとの関係を描くことで、対象の形を浮かび上がらせることができるのだよ」
(本書p59〜60より)

「ピアンボ、これを誤解してはいけない。まず第一に教えておくが、肖像画というものはどれも、ある意味では自画像だ。自画像が例外なく肖像画であるようにな」
(本書p115〜116より)

 暗闇を歩くような仕事を前に、ピアンボは師である故サボットの言葉を頼りに何とか肖像画を描こうとします。面会日には屏風を挟んで夫人と対面して話を聞いて、そうでない日も夫人のことを密かに調べ上げて、何とか夫人の実像をつかもうとします。しかし、彼女の姿はなかなか見えてきません。シャルビューク夫人は幼いころから占い師として成功することで富を手に入れてきました。誰にも姿を見せることなく屏風の向こうから依頼人の未来を語ってきました。彼女にとって、世界は屏風の内と外のふたつに分かれています。そして、屏風の内側には誰一人として受け入れようとはしません。屏風の外のシャルビューク夫人の姿をいくら知ったところで、果たしてそれは夫人の内側に迫ることへとつながるのか。夫人はいったいピアンボに何を描かせようとしているのか。
 こうしたピアンボの苦悩は、ブログを通じてネットで書評を発信している私自身の心の中に微妙な影響を与えてきます。私は本を読んでそこから掴んだと思うものをこうして書評として書いてるわけですが、果たしてそれは屏風のこちら側にある本の実物を伝えるものになっているのか。本のことを語っているつもりであっても、結局それは自分語りに過ぎないのではないか。ネット上でいくら言葉を紡いでも決してそれはリアルに届くものではないのではないか。本書を読んでると、ネットのデジタルな世界がほの暗いゴシックなものに思えてきます。19世紀末が舞台のはずなのにテーマはとても現代的です。そこがとても面白いです。
 ピアンボは夫人からの依頼に夢中になるがあまり、ついには夫人そのものへの虜へとなってしまいます。画家としての未来を手に入れるはずの仕事によって、画家としての彼の自我は崩れ始め、恋人であるサマンサの心も傷つけてしまいます。それでも、いや、だからこそ、彼はその仕事から手を引くことはできません。
 奇妙な仕事を遂行していく一方で、ピアンボの周囲では別に奇妙な事件が起き始めます。目から血を流して死にいたる謎の奇病の流行。そして、夫人の話によれば死んだはずの彼の夫シャルビュークによってピアンボは脅迫を受けます。奇病とピアンボの仕事に何か関係はあるのか。シャルビュークとは何者なのか。そして、シャルビューク夫人とはいったい何者なのか。
 現実とは何か。そして真実とは何か。退嬰的でそれでいて美しい幻想的なミステリーです。オススメです。
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