『ジャンクル!』(木村航/ファミ通文庫)と『地球の長い午後』(ブライアン・W・オールディス/ハヤカワ文庫)

 ジャン「グ」ルではありません。ジャン「ク」ルです。
 奇妙な能力を持つ植物「パラプラ」の密林(ジャンクル)に支配された世界で冒険を繰り広げる、少年少女の物語です、とはあとがきの作者の言ですが、このあらすじを読んで、『地球の長い午後』(ブライアン・W・オールディス/ハヤカワ文庫)を想起されるSF読みの方もいらっしゃると思います。イメージとしては大体そんな感じです。『長い午後』と比べると、生・病・老・死の四苦が丁寧に書かれているのが本書の特徴だと言えるでしょう。
 ただ、「ここで終わるのかよ!」ってところで終わってやがるので、物語の核心部分についての比較はできません。いや、ここで終わっちゃダメでしょ(笑)。背景についての説明はお世辞にも親切とは言えないので、SF読みとしての素養・覚悟が少しは必要かもしれません。

 話は変わりますが、個人にとって小説の評価とは、基本的には初読時に定まってしまうでしょう。ただ、読み手としての自分が変化したことで、再読時に評価が変わった本というのもあると思います。私にとって『地球の長い午後』はまさにそんな小説でして、初めて読んだのはずーっと昔ですが、そのときは、世界観こそ確かに独特で圧倒的ですが、総合的には『幼年期の終わり』の亜種だな、くらいにしか思ってませんでした(『幼年期』は1953年、『長い午後』は1962年に発表)。
 ところが、それから月日は流れ、インターネットとかでパソコンを少々たしなむようになり、改めて『長い午後』を何となく手にとって読み返してみたら、評価がガラリと変わりました。例えれば、windows98で活躍していたファイルが時代の変化で対応しきれなくなったのでxpに移動しなくてはならなくなって、そのための圧縮ファイルが『長い午後』の世界での人類を初めとするその他の種の、一見退化と思われる(実は)進化の正体だったわけです(←蝶独断的解釈)。
 いや1963年にファイルの圧縮・解凍があったかどうかは知りません(多分ない)のでホント適当ですが、そんなに間違っちゃいないとも思ってます。意図の有無にかかわらず未来を描いちゃうところがSFのすごいところですね。

ジャンクル! (ファミ通文庫)

ジャンクル! (ファミ通文庫)

地球の長い午後 (ハヤカワ文庫 SF 224)

地球の長い午後 (ハヤカワ文庫 SF 224)