『ストーカー』(A&B・ストルガツキー/ハヤカワ文庫)

ストーカー (ハヤカワ文庫 SF 504)

ストーカー (ハヤカワ文庫 SF 504)

「まさにそのとおりだ。どこか宇宙の道端でやるキャンプ、路傍のピクニックというわけだ。きみは、連中が戻ってくるかどうか知りたがっている」
(本書p191より)

 本書は、人間以外の知的存在とのコンタクトをテーマとした小説です。しかし、いわゆる”宇宙人”のような人間以外の知的存在は本書には一切登場しません。突如として起きた異星の超文明から地球へのコンタクトによって生まれた痕跡。ゾーンと呼ばれるその地域では、何が起こるのか誰にも予測が付かず、その中には原理不明な様々な物品が残されていた。国際地球外文化研究所が設立されゾーンの管理と研究が行なわれいている中、命がけでゾーンから物品を持ち出す”ストーカー”と呼ばれる者たちが現れた。というようなお話です。
 地球外の知的存在との出会いというテーマは、真摯なSF作家にとって極めて難解なテーマです。人間とそれ以外の生物とを分かつ知性すら定義することができないのに、人間以外の知性を表現することなど土台無理な話だからです。手っ取り早い方法としては、知性そのものは人間とほぼ等しいまま、肉体的な条件を”ヒト”とは異なるタコやら山椒魚やらといった形にすることで異星人を表現するという方法はあります。しかし、それではエルフやドワーフといったデミ・ヒューマンとの交流を描くファンタジーと何ら変わりはありません。
 そこで本書が選んだのが”描かない”という方法です。異星に存在するであろう知性体をまったく描くことなく、それによって様々に影響を受ける人間の姿に焦点を絞り、外堀を埋めることで内実を表現するという手法です。それは、奇跡の集積によって神の神秘性を維持する宗教の手法と酷似しているともいえますが、誰もが世界と公平に向き合わなければならないのが宗教と科学(ひいてはファンタジーとSF)とを分かつ重要な分岐点だといえるでしょう。
 本書は4つの章で構成されています。1章と2章と4章はストーカーであるレドリックの視点、3章は国際地球外文化研究所員のヌーナンの視点からの、共に一人称で語られています。非常に制約された視野と語りによって視点人物の人間性が濃密に描かれながら、異星人の神秘性もまた維持されていきます。正直、2章までのストーカーの視点では、王墓の墓荒らしによって一攫千金を目論む盗人の論理とあまり違いを見い出せなくて退屈な気もしたのですが、3章に入って物語の外枠が少し見えてくることで知性とは何かというテーマも見えてきます。ストーカーという生き方を選ぶことの意味とか意地とかも見えてきて、そこから物語への興味も格段に高まりました。
 ゾーンからストーカーたちが拾ってくるもの。それは現時点ではドラえもんの秘密道具と同じものかもしれませんが、一面的な効用だけでもとりあえず人間はそれに使い道を見つけることができます。しかしながら、それによってより大きな悲劇が生まれることも十分にあり得ます。ゾーンとなった地域に起きた災厄。そこから広まった”疫病”。原子力による放射能汚染をモチーフとしたとしか思えないそれらの現象はまさに、科学と人間と倫理との関係の本質を抉り出したものであり、だからこそ本書はSFなのです。
【参考文献】スタニスワフ・レム「A&B・ストルガツキー『ストーカー』論」(国書刊行会『高い城・文学エッセイ』所収)

高い城・文学エッセイ (スタニスワフ・レム コレクション)

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